糸くず

女が階段を上る時の糸くずのレビュー・感想・評価

女が階段を上る時(1960年製作の映画)
4.1
酔いつぶれた純子(団令子)をベッドに寝かせた圭子(高峰秀子)が一息つくこともなく取り出すのがそろばんと領収書であって、まるで夏目漱石の『道草』のような感じで、お金の話がえんえんと語られるのがものすごくリアルで世知辛い。

作中の時間では、クリスマスと年末年始が訪れるのだけど、その間の高峰秀子がなにをしているかといったら、働きすぎが原因の胃潰瘍で血を吐き、実家で寝込んでいるのだ。しかも、この実家での会話が職場復帰の催促・水商売への嫌味・兄嫁の別居・小児麻痺の甥の手術費・弁護士への相談と現実的かつ気が滅入るエピソードの連続で、新年早々わたしの心も陰鬱に。

純子のように、「幸福な結婚」という幻想を持たず、目の前にある人やものを出来るかぎり利用して生きていければ、少し楽なのだろうけど、そんなに簡単に割り切れないよなぁ。加東大介や森雅之にやさしくされたら、心が動いてしまうのも仕方がない。しかし、男の欲望と女の思いは一瞬重なり合っても、すぐに離れてしまい、女は一人残される。それでも、生きていくために、女は今夜も階段を上る。ああ、つらい、つらすぎる。

傑作だと思うけど、一年の初めに観るにはあまりにも荒涼とした映画である。帰り道の寒さが、いつも以上に骨身に染みた。
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