eichan

容疑者Xの献身のeichanのネタバレレビュー・内容・結末

容疑者Xの献身(2008年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

推理ものとして見るべきではない。最初から犯人は明かされている。この映画はタイトル通り愛の一種であり、愛をも超越した「献身」の物語である。

石神は隣に引っ越してきた母娘に命を救われる。それだけでなく、優しい二人と接していくうちに愛することを知る。二人が特別なことを石神にした訳でない。挨拶したり、仲睦まじい声を隣の部屋から聞かせてくれた、それだけだ。それなのに石神は人生を賭けて二人の人生を救おうと暗躍する。まさに「献身」と言えるほどに。

その「献身」を唯一の友人である湯川先生に見破られてしまうところにもドラマを感じる。湯川への何気ない一言「若々しくて羨ましい」。たった一言から天才的で緻密な完全犯罪が解かれていくのは皮肉でありエモーショナルだ。

さらにエモーショナルだった場面は、最後の石神を連行するシーン。結局必死に守ろうとした人が「私も石神さんと罪を償う」と叫ぶ。
この展開は、石神が自首する前に母娘へ茶封筒を渡したことが原因だと私は考える。
自分の思いを手紙にして母娘へ伝えたりしなければ、二人の情が石神にここまで移らなかったのではないか。
石神がそのような「失敗」をしたのは、自分の「献身」を二人に知ってもらいたいという承認欲求が理性に優った結果なのだろうか。天才の中にある人間臭さがさらりと描かれていていいと思った。

また、これもさらりと描かれているが、完全犯罪を成立させるために、罪のないホームレスが犠牲になっている。この人にも友人や愛人、家族がいたかもしれないのにその辺りは完全に無視している。それが憎いところでもある。
作中のキーワードの一つ「時計の歯車」。人は時計の歯車のように何かの役割を背負っているという節理を説いたセリフだが、世の中を無機質に見立てる非情さと、自分のそこから抜け出せないと分析する冷徹さをしみじみ表しているセリフである。印象に残った。

まとめると、見返りを無視した完璧な「献身」の物語であると同時に、そう見せかけて完璧人間に徹することができなかった歯車の物語と言える。人間の愛の奥深さを追求した名作である。
eichan

eichan