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容疑者Xの献身のhariのネタバレレビュー・内容・結末

容疑者Xの献身(2008年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

原作未読。
愛を動機に企てた完全犯罪が愛によって壊されるのはある意味美しいなと思った。愛の種類は違うけれど。


最後の咆哮は色々な気持ちが詰まっていそうで良かった。
すべてを無駄にした彼女への憤り。
彼女のためなら罪を被る気持ちでいたのに、その思いを彼女が信じ受け取ってくれなかったことへの怒り。
でもその裏切りは、良心の呵責に苦しむほどには彼女に大切に思われていたからでもあり、喜びも少しはあったんじゃないかな。
そんな喜びを感じてしまったを自分を赦せなくて泣いてそうな気もするし、大事に守ろうとした幸福の象徴としての価値を自ら貶めた彼女への絶望もありそうだし。


創作に対してこんなことを言うのはあれだけど、愛してるなら罪をきちんと償わせ、この先の人生を支えるべきだったと思う…それができない関係性だったからああなっちゃったんだろうけど。

人殺しという罪を背負ったまま、一切償いをさせずに、その罪を(たとえその人が望んだにしろ)他人になすりつけたまま幸せになれなんて、通報するよりよっぽど残酷なんじゃないかな…その人が善人であればあるほどこの先苦しむと思う。幸せを感じる度に、罪の意識に苛まれる人生になるんだから。
裁かれ、刑罰を受けることで、その時は辛くとも、社会的には罪を償えたことにはなる。その事実が人の気持ちを楽にしてくれることもあるんじゃないのかな。


一番可哀想だったのは隠蔽工作のために殺されたホームレス。全く関係ないのに、恐らくいなくなっても探されないからとかそんな理由で標的に選ばれたんだろうし、その殺人に対して石神が特に感情を抱いてなさそうな感じが嫌だった。数式に代入するくらいの感覚で殺してそうで。
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