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父親たちの星条旗のotomisanのレビュー・感想・評価

父親たちの星条旗(2006年製作の映画)
4.3
 戦時経済と言っても、石油は自給できるし電力の開発も供給も支障なし。戦争のおかげで原爆も作れるほど人材にも恵まれ、鉱産資源も農産も南北米州挙げて体制を組める今、何の憂いもない。つまり米本国は戦争景気で大好況。市場の動向も消費者志向も測る必要なし、研究開発は軍にお任せ、モデルチェンジや新機軸に腐心せずとも軍需がすべて引き受けてくれる計画イコール生産、即利潤の夢の国なのである。ただ、それは戦地に赴く恐れのない者だけの事ではある。
 硫黄島にやってきた兵士の幾分かもそうした銃後の暮らしに浸ってこれたのかもしれない。ところが例えば、摺鉢山に記録用の国旗を立てた6人が、その陣地奪取で任務も直に終了と思ったのじゃないか?それがたちまち3人を反攻で失ってしまう。1200万を動員して40万を失ったアメリカのこの大戦が5年続き、欧州と北太平洋全域を戦場としたのに比べ、6人にとってこのちいさな摺鉢山のほんの数週とは何事か、死んだ3人と生き延びた3人、何が違ったのだろう。

 正直なところ、映画を見渡して弾雨を浴びる彼らの生き死にを追いかける中で誰が誰だかの区別が容易に付かない。あの6人なのか、最初に小旗を掲げた誰かなのか、更にほかの誰かなのかがまるで分らない。
 それが監督の狙いであろうことは違いない。著名な俳優だから死なないとの見当を張り倒し、英雄的な死を予感し、その時が来ることにワクワクする気分を踏みつけるのだ。
 ここ硫黄島では目の前にいた誰かが斃れれば後ろにいた自分は助かるし、一歩早く動いた後ろを抜けた弾が誰かを殺し自分は生き延びる。それが敵の狙い弾か味方の誤射かさえも分からない。
 とうとう自分の番が来たかと思えば誰かの助けで気が付けばこうして生きている。最前、弾が自分をよけてくれた時は誰を助けることも叶わなかったのに。

 ではなぜ硫黄島なのか。サイパンを発して東京または中京、阪神、鹿児島までどこを狙ってもおよそ2500km、その道中の真ん中、すでに滑走路3本のあるいい中継地で避難港。制海に制空を果たしても日本制圧に使えない場所であってはならないのが硫黄島。
 海軍長官が全連合国向けに最前線会見を行うのも東京まで海ばかり1200km、あと一押しのアピールで戦費調達を煽る最好適地なればこそだ。その一週間前にはヤルタ会談。ソ連の対日参戦がはっきりして米国が急がないわけがない。誰が共産主義の本山に日本を呉れてやりたいか?
 欲しいのはカネを通り越した戦果であって、のちに冷戦と呼ばれる時代での軍事をはじめとした対ソ優位なのだ。
 一方、日本各地の空襲でフィリピン、沖縄からやってきた部隊がどれほどあるのだろう。ハワイの根城から誰がそんな遠地を経由して日本本土に向かうか。
 日本軍もそれを承知だから、沖縄同様、本土決戦の準備期間を一日でも延ばそうと根強く反攻する。それがあの星条旗に関わった3人の死亡にも反映される。
 また、この狭い島中を戦場にしてどこに捕虜米兵を収容し要員をどう捻出できるだろう。それは米兵にもよくわかる。沖を埋め尽くす艦船を見て日本軍が捕虜米兵から聞きたいことなど今さら何もない。手あたり次第殺し、士気粗相を促さねばこの日の負傷兵さえいつか日本本土に上陸してしまうだろう。そこが捕虜となりドイツの資源を空費させ敵失に結び付ける欧州大陸の戦場とは異なるのだ。

 今から思えば硫黄島が陥落したのも幸いかもしれない。しかし、現地の米兵たちやその遺族の人たちにとってはどうだろう。また、そのほかの人、戦場とは関わりなく暮らす人々だ。その中の誰かが激戦地で生き延びた誰かを内地まで引っ張ってきて英雄らしく旗立てを頼むよという。
 観衆として動員された面々は「英雄」と呼んでおだてて、差し障りなく躱したい。戦費をまかなう公債をついでに買って、ショーアップされた擂鉢劇場に喝采を送ればまた日常の稼ぎと暮らしに戻れる。
 戦地で荒れ果てた「英雄」とはどうせ話が通じるわけがないのだから、連邦の用事が済めばさっさと帰ってくれればいい。もちろんあの「英雄」が何者か知った事ではないし、連邦が英雄だというならそれで結構。あやかって一枚の写真に一緒に収まればウイ・アー・ワン、互いに戦争協力の追加の役割を終えればまた赤の他人だ。女にモテて潰れるほど飲んで、互いになにが悪い?
 だから、誰がなにかのフラッシュバックで自棄を起こそうと小事、先の大戦でも苦労はしたし、かの内戦"The Civil War"はさらに過酷だった。所詮此度動員されたのはほんの1割、支える我ら全米は実に9割、国土は全くの無傷だ。
 厭戦気分が恐ろしい?誰がそんなことを今更言い出せる?そのために華やかなセレモニーもプレスコードも設けているんだろう。長いものには巻かれて見せて大国アメリカを稼いで富ませば連邦とは持ちつ持たれつ、チャラというものだ。

 なにしろ戦争が政治なら経済、文化でもあろうしそれが自立した人民の気風でもあろう。これもアメリカの連綿たる歴史、短い?短かろうが自覚して本国政府と戦った歴史の濃さにむせ返るがいい。そんな歴史の先端が硫黄島のあのときに違いない。
 しかし、硫黄島はアメリカではないし、相手は不可解な日本人。大量の資源も兵器も生存を保証するとは限らない。その結果があれだけの死者であり、仲間を助ける膨大な努力が徒労に終わる事となる。それでも生きて喝采を浴びる自分は誰かの努力の賜物であり、彼の気の遠くなるような勇気の成果であるはずだが、皆はそんなことを思いもしないで擂鉢劇場に興奮している。
 ならば、硫黄島の人々はどれほど特別誂えの人間揃いだったのだろう。それをどう確かめればいいだろう。では自分は娑婆でどう過ごしていたか。あの喝采を挙げる人たちと何かが違ったろうか?

 本国と戦場と二手に分かれてから同じだけの時間を経て覚えるこの違いとは、硫黄島暮らしで生じた差異なのか、入営で生じたのか、戦争だからなのか、戦争に至る道程そのもののせいなのか。
 軍隊で同じ釜の飯を食ってれば同じような人間が出来上がり、信じられない無茶にも挑み、無謀さも死ぬことの想像も忘れられ、なぜ誰かを助け死なすまいと図れるようになるのか。
 ただ、アメリカは独立以前、英本国からの支配を拒んで闘いを始め、主敵を変えながら明け暮れる戦の中、徴兵制を敷き、アメリカに必要な兵と軍の在り方を考え抜いてきたのは確かだろう。
 しかし、連邦の募兵には応じるにせよ戦闘で命を張るのは戦友のためであるとする、その答えはきっと平時の中では探しきれない。やはりあの戦場でなければ分からないのだ。しかし、それと分かってその時そうしていたのか。また平時に戻れば夢のように何かが失われるのだろう。だから誰にもあの時の事を語って聞かせようがない。

 その伝え難さを監督はこの複雑な造りの映画で示そうとしたように思う。伝え難いと言えば先住民出のアイラがあるとき死んだ戦友の実家を訪ね、父親に記憶を告げるが、その立ち話の空疎な描き方にアイラが改めて自身のために何をし損ねたのか分かるか?と問いかけるようだ。そのアイラの乞食同然な長征を横目にしながら立ち止まる事のない戦時債ツアーの世話役士官はもうアイラになにを問うところもない、全て分かってると思い込んでいるのだ。多分、それも誤解だ。誤解とはいえ質すべきなにが見つかるだろう?見つけることが飲んだくれる日々を救うか何かになるのか?この何かをし損ねた感、出会う事2回、各ふたりがすれ違っただけの事で途方に暮れる。
 しかし、それでもささやかながらアイラの告げた公式写真の一人の後ろ姿がかの戦友のそれであり、彼の親たち、いや、ただ母親だけにとっては息子の成長した姿なのである。それと知らずに死ぬことは大事な何かを失ったまま死ぬことである。親たちの身一つで死ぬることは変わらないが戦死通知の日に潰えた魂の一部がこうして綴り直され後悔の一端が癒される。
 こうしたことは何を生産し開発し実績を積んでも補えない。きっとアイラも惑いの中に公的には英雄で私的には飲んだ暮れて亡くなるが、戦時の「英雄」とからかわれる平時にあってこうした行きずりの出来事は誰からも英雄的とは語られないだろう。これを最後に記憶してくれと監督は外伝を結んでいる。

 では本論の結びは何だろう。それは戦場での底知れない恐ろしい思いの伝え難さだろう。頭上を銃弾が走る下、日本軍の放棄した塹壕に潜むうち看護兵ドクの戦友一名が消え失せてしまう。三人でいたのに二人しかいない。狼狽する中気付いたのが地下壕への上げ蓋でそこからのぞいた下には戦友イギーの死体があるばかり。
 最前までそこに日本兵が潜んでおり三人を獲物に狙っていた。一人だけ獲ったのも偶然でそれがイギーなのも偶然で、殺し屋が軍国主義者か愛国者であろうか如何なる家族を持とうが知る由もない。いや、本当に人であろうか、土蜘蛛のごとき妖怪ではないか?それが、6人から3人までも殺したものの正体かもしれない。
 遺族であれ誰に行きずりの妖怪に背後を取られましたと告げられるだろうか。死んで「英雄」などと告げられるだろうか。それどころか相手が妖怪なら戦勝国の自分たちはリバイアサンか?相応の報復が横行したことなどなおさら告げられまい。
 目の前のイギーは遠い敵地にあり、この塹壕も追い立てられればもう戻る事も探し出す事も叶うまい。イギーを取り戻せないまま自分らも死ねば誰がイギーのおそろしい最期を伝えられるだろう。
 のちの世だから日本人も人間に違いないのは推定できるとしても、人間という怪物であろうと殺さねば殺される。ただ、銃でもナイフでも殺せる程度の化け物と対峙してドクは何をしただろう。人一人も殺さなかったかもしれないドクが誰かを殺していれば、誰かが生き延びたかもしれない局面を幾度数えただろう。
 殺すべき局面で殺さねばと念じて何をしたか?そんな回想とともに、それだけではなかった、ただのアメリカの若者に過ぎない自分、そして同様の戦友たちが常に隣り合わせにあったのだと硫黄ヶ浜の水遊びとして言い添えずにはいられない。ドクがイギーでありアイラでもあるようなその儚いいっときを笑って語らずにいられない。しかし、裏腹な出来事がやはりあったのだろう。そこまで語れずに息を引き取れたことをもうどうすることもできない。
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