kkkのk太郎

ミスティック・リバーのkkkのk太郎のネタバレレビュー・内容・結末

ミスティック・リバー(2003年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

ミスティック川沿いの近郊都市で起きた殺人事件を契機に、疎遠になっていた幼なじみ3人の運命が交わり合う様を描いたミステリー。

監督/製作/音楽は『ダーティーハリー』シリーズや『パーフェクト ワールド』の、巨匠クリント・イーストウッド。

雑貨屋の主人、ジミー・マーカムを演じるのは『ゲーム』『I am Sam アイ・アム・サム』の、名優ショーン・ペン。本作でオスカーを獲得!
心に傷を負う男、デイヴ・ボイルを演じるのは『トップガン』『ショーシャンクの空に』の、レジェンド俳優ティム・ロビンス。本作でオスカーを獲得!
殺人事件を捜査する刑事、ショーン・ディバインを演じるのは『アポロ13』『インビジブル』の、名優ケヴィン・ベーコン。
ショーンの相棒である刑事、ホワイティ・パワーズを演じるのは『地獄の黙示録』『マトリックス』シリーズの、名優ローレンス・フィッシュバーン。

👑受賞歴👑
第76回 アカデミー賞…主演男優賞/助演男優賞!✨
第61回 ゴールデングローブ賞…主演男優賞(ドラマ部門)/助演男優賞!✨
第9回 放送映画批評家協会賞…主演男優賞/助演男優賞!✨
第29回 セザール賞…外国映画賞!
第47回 ブルーリボン賞…外国映画賞!

うぉ…!お、面白えぇぇ…。
クリント・イーストウッドが名監督であることはもちろん知っていたが、ここまで凄い本格派ミステリーを撮ることが出来るのか…。
しかも本作では音楽まで手掛けてるって、この人マジでなんなんだ。映画の神に愛されすぎている。
これまでイーストウッド作品では『パーフェクト ワールド』(1993)が一番だと思っていたけど、この作品はそれを上回るかも。いやとにかく凄いもん見させていただきました👏

派手なCGやエフェクトは一切無し。ある殺人事件の顛末を被害者遺族、容疑者、刑事という三者三様の立場から描き出す。
シンプルな映画ではあるのだが、この3人が幼なじみであり、幼少期の痛ましい事件がその友情を引き裂いたということが冒頭で提示されているので、とにかく興味の持続力が落ちない。この物語がどういう方向へ向かうのか、そしてどう着地するのかが気になりすぎて一分一秒も退屈している暇が無かった。

陳腐な虚仮威しや中身のないアクションで茶を濁すことなく、一つ一つ丁寧に人物描写を積み上げていく。それが生み出す圧倒的なリアリティが強靭な骨子となってこの物語を支えている。
無骨であり流麗。寡黙にして雄弁。一で十を語るかのような豊かさを持つ、まさにこれこそジ・映画!こういうのが観たかった♪

本作の登場人物には赤い血が確かに通っている。人物描写の細やかさもさることながら、俳優陣の熱演が本作のリアリティを格段に高めていた。
ショーン・ペン/ティム・ロビンス/ケヴィン・ベーコンというハリウッドきっての演技派である大物3人がグイグイ物語を引っ張っていく。この3人は年齢が近く、技量も拮抗している。同レベルの俳優が集うことで生まれるグルーヴ感が映画に満ちており、各人の持つ本来の力が増幅されたかのような迫力が演技に込められていた。

押しの演技で攻めるショーンを引きの演技で受けるティム。オスカーを獲得したことからも分かる通り、やはりこの2人の演技は目立つ。特に今回のショーン・ペンは鬼気迫るというか、こんなに上手い役者だったのかと改めて思い知らされた。顔ではなく肩。肩の演技で自分がヤクザ者であることを観客に分からせる。こんな演技普通出来ん。凄すぎる…😨

ただ、個人的にMVPはケヴィン・ベーコンに与えたい。
今回のベーコンは他の2人と比べるとどうしても目立たないポジションの役を演じている。そのため印象には残りづらいものの、職人的とも言える堅実な演技で主軸となる2人をしっかりとサポートしていた。
ショーンをガンガン攻めるストライカー、ティムをガッシリとゴールを守るキーパーと例えるのなら、ベーコンは他の役者を活かすためにボールを送るパサーと言ったところだろうか。地味な役回りだが、彼がいたからこそこの映画の役者陣のアンサンブルは生み出されていたのだと思う。

早撮りで有名なイーストウッド。この映画でも1テイク主義は健在だったようで、それが生み出す緊張感もまた役者の力を120%引き出すことに一役買っていたのだろう。
面白いのは、演技上でのアクシデントをそのまま映画内に組み込んでしまっていること。
例えば安置所でのショーンとベーコンのやり取り。過去を掘り起こされたことに激昂したショーンがテーブルを叩き、その拍子にベーコンが手元のコーヒーをこぼしてしまうというシーンがあるがここは意図した演出ではない。ベーコンは本当にコーヒーをこぼしてしまったのである。しかし、このシーンがあることでベーコンの動揺が観客にも伝わってきたし、この2人の関係性のようなものも浮き彫りになっていたように思う。

ポーチでタバコを吸うティムとショーンのシーンにもアクシデントがある。
タバコに火をつけようとするティムは、背後からのショーンの声かけに驚きマッチで指先を焼いてしまう。ここも実はミス。火を確実につけるためマッチを3本同時に擦ったことで起こったアクシデントだったのだが、これもまたティムの常に何かに怯えているかのような性格を表わしているかのように観客の目には映る。
事程左様に、本作にはイーストウッドの1テイク主義が生んだ怪我の功名が散見される。この役者のナマの姿がキャラクターたちの血肉となっており、ひいてはそれがこの映画の持つ圧倒的な説得力に繋がっているのである。

物語自体はシンプルなのだが、この映画が一筋縄でいかないのは表層的ではない部分に数多くのテーマやメタファーが隠されているから。描かれたディテールをひとつひとつ考えていったら頭がパンクしそうになるくらい、数多くの含みがこの映画には仕込まれている。正直言って全然読み解くことができなかったので、プロの批評家が書いたこの映画のしっかりとした論文を読んでみたい。

ただ、この映画が宗教的な要素を多分に含んでいるというのはなんとなく分かる。
まず気になるのは冒頭、誘拐犯の1人の指に十字架の指輪が嵌っているということ。
カトリック司祭による児童への性的虐待をボストン・グローブ紙がすっぱ抜いたのが2002年。この一連の出来事は『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)というタイトルで映画化もされている。
この記事が掲載されたのは2002年の初頭。本作の撮影時期が2002年の9〜11月、場所はボストンであったことを考えると、この誘拐犯はカトリック協会のメタファーとして描かれていると考えてまず間違いないだろう。

そしてこの映画のクライマックス。
服を脱いだジミーの背中に彫られていたのは大きな十字架。この映画は十字架で始まり十字架で終わるのである。
DVD特典のオーディオコメンタリーでも触れられていたが、ジミーと妻のやり取りはおそらく「マクベス」からのリファレンス。この場面は、物語の後に訪れるであろうジミーの破滅を予感させるものになっている。
中盤、デイヴは吸血鬼や狼男について言及する。「死して今とは全く違うものに生まれ変わりたい」と。
反キリスト的な存在を十字架を背負ったものが殺す、という描写には中世の魔女狩りや十字軍遠征を連想させられる。「汝殺す勿れ」と説いておきながら、その実態は血みどろの歴史に彩られているキリスト教。ジミーはそのメタファーであり、戒めを自ら破るこの宗教の行末には破滅しかない、ということを彼の存在は表しているのかも知れない。

内に秘められたテーマやメッセージだけでなく、構造的にもこの映画には目を見張るものがある。
十字架の件だけではなく、この映画では象徴的な前半の描写が後半でまたリフレインされる。
例えば、前半に描かれたショーンの娘の初聖体のシーンと対応するように、デイヴの息子が参加する街のパレードがエンディングに描かれているし、人を殺したと告白したデイヴが妻と接吻する場面と対応するように、デイヴ殺しを告白したショーンを妻が愛撫する場面が描かれている。
特に印象的なのは「車」の描き方。冒頭、少年時代のデイヴは刑事と偽る者の車に乗りんでしまい悲劇的な”死”を迎える訳だが、ショーンがデイヴをバーまで誘き出した手口はこの時の犯人のそれに酷似している。車に乗り込んでしまった時点で、デイヴの末路はもう決まってしまっていたのである。
このように、本作ではデイヴとショーンそれぞれに対応するようなシーンが存在しており、それが前半と後半に配置されている。このことが、物語に一冊のアルバムをパタンと畳んだ時のようなまとまりの良さ、収まりの良さを生み出している。
この構造的な美しさが、本作と凡百の映画を隔てる最大の違いなのではないだろうか。

これほど見事な映画には久しぶりに出会った!!
ミステリー映画という枠においては、オールタイムベスト級の一作になりました。観て良かった♪
嘘をついても真実を話しても殺される。後味は良くないが、人生とはそういう遣る方ないものなのかも知れませんねぇ🌀
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