Omake

ミスティック・リバーのOmakeのレビュー・感想・評価

ミスティック・リバー(2003年製作の映画)
5.0
言わずと知れた名作なのだけど、最近になってようやく観た。
2023年の夏のことなので随分と時間が経ってしまったが、その衝撃は今でも変わらない。

映画にしても本にしても、なぜか見るべきタイミングで出会うということがある。この作品はそんな一本だった。

少年に対する性犯罪がきっかけとなる物語なのだが、これを見た当時、日本の芸能界を支配していたジャニーズ事務所の前代未聞の性犯罪が明らかとなり騒ぎとなっていた時期で、この映画の内容をうまく消化することができなかった。

とはいえ映画の内容と先の事件に共通点はあまりない。一つあげるとすれば、人々の偏見が被害者に追い討ちをかけ、新たな被害を生んだということだろうか。先の事件でも被害者の1人が自殺に追い込まれた事実があったと思う。いたたまれない。

この映画を見て思うのも、いたたまれない、そして取り返しがつかない、という気持ちだ。

偏見は人を怖がらせるし、偏見に囚われた心は小さな疑いを大きな闇に変えてしまう。

どうしたら偏見から自由になれるだろうかと考えるけれど、容易なことではない。

ちょうどこの時期個人的な生活の中にも奇妙な出来事があった。近所の集まり(夕食&飲み会)に参加していた時、ある男性がそこに参加していた小学4〜5年生くらいの男の子を膝にのせているのを見た。その男の子の少し困惑した表情から私の疑いは膨らむ:
「隣に空いた椅子があるのに大きい子供を膝に乗せる必要があるのか?」
「そういえばさっき他の子供達も連れて店に行き菓子を買い与えていたけどあれはグルーミングか?」
「初老の独身者が美少年を膝に乗せている姿は自然ではない」

違和感を感じた私は夫に話し、親友に話し、児童虐待相談センターにも電話をしてその時見たことがいったい何なのかを尋ねてみた。

けれどもそこで分かったのは、何かが起こってしまうまで、何もできないということだった。私が見たことも私の偏見が生み出した妄想かもしれないからだ。

毎日のように報道される教職員や介護職員、公務員ら信頼されるべき人間による性犯罪を見るにつけ、一体どうなっているのかという思いと、これが人間というものなのだという思いが交錯する。

あるイタリアの老人に教わった言葉に、犯罪者は犯罪者として生まれるのではない、状況が犯罪者を作る、というのがある。

そうだとするならば、そんな状況を作らない努力はやはり必要だろう。ほんの些細な偶然が人の一生を取り返しのつかないほどに変えてしまうのならば。

もう一つ、ジャニーズ事件をイタリア人の友人に話した時のこと。ジャニーズ事務所のような事件がイタリアで起こったら、真っ先に「親の責任」が問われるだろうと。また日本文化にも通じている彼は、児童や未成年を対象とした性愛は日本の文化的な側面に関係するのではと言っていた。『源氏物語』の紫の上のエピソード。あの話はヨーロッパではあり得ないと言っていた。


映画の話からだいぶ逸れてしまった。クリント・イーストウッドの作品はいつも人生に挑戦状を突きつけてくるような話が多い。
今回は偏見の罪について考えさせられました。
Omake

Omake