荻昌弘の映画評論

堕落の荻昌弘の映画評論のネタバレレビュー・内容・結末

堕落(1963年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 「捨てがたい小佳品」といった形容をまるで絵に描いたみたいな映画である。秀作と呼ぶにはちょっとクギが抜けたようなユルさがあるが、見た印象がひどく純で甘くて好ましいのだ。潔癖な大学生や高校生なんかに大受けする作品じゃないか。
 話はごく簡単である。若い一本気と清潔感から、どうしても「修道院にはいって一生を聖職に捧げたい」と言い張る息子(ジャック・ペラン)に対して、すべて世なれきった父親(アラン・キュニイ)が、「よしよし分った。その話はあとで」などといいながら、ソッと自分の情婦(ロザンナ・スキャフィーノ)をあてがう。性には免疫のない子だ、ペランはいちころでこの陰険な策略にひっかかる。甘い一夜の陶酔のあと、はじめて彼はおとなの汚なさに気付く。しかし地団汰踏んで憤ってみても、もうあとの祭りだったのだ……という話である。
 これを、おとなの卑怯な醜悪さといった主題はさりげなく後景に置いて、ひたすら、夢みることもキレイだが汚れることも簡単な少年の心情の哀しさ、に焦点を据えて描ききったのが、映画を抒情的な美しさに仕上げた。もっとも、そこがまた、この作品の線の細さ、という弱点にもなったのだが。
 「ビアンカ」を作ったマウロ・ボロニーニ監督は、根が社会派の秀才だけに、もちろん感傷いっぽうの描写に終始しているわけではない。最近イタリア資本主義の牙城としてヨーロッパの一中心となったミラノを背景に、家族や従業員には一片の愛ももたない蛇のように冷たい実業家や、節操を失った思想家など、名士の仮面をかぶった人非人の姿も、リアルに浮彫りしてある。
 しかし、なんといってもここで目に残るのはこの若い監督の画面の艶っぽい美しさ!カンツォーネの絶唱をきくような甘美なロマンチズムのほとばしりである。父のヨットでペランとスキャフィーノがじっと目を見交す場面・・・・・・中でも、“汚れた”ペランが、町の大ホールで憑かれたように踊り狂う同年輩の集団を、呆然たる凝視で注目すラスト。ここのパセティックな悲しさは、思わず胸ふさがれるほどだ。澄んだ美貌の底に、何か不運なわびしさを蔵したペランくらい、またこの役にぴったりの少年もなかったのである。
『映画ストーリー 13(8)(156)』