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トラスト・ミーの海のレビュー・感想・評価

トラスト・ミー(1990年製作の映画)
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生きてきたあなたの時間のすべてを知って愛してあげられたとき、わたしはもう二度と泣かなくていいくらいつよくあたたかいわたしになっているとおもうの。ねむるまえ、話せることと話せないことのさかいめを何度もあいまいにする。そのときわたしたちは、ここにある体温よりも、ここからすごく遠い場所でひとりうずくまっている自分自身を見ていて、きっとその子のことを、抱きしめようとしている。悲しみは、それが個人的であればあるほど、簡単に心から剥がれていってしまうから、言葉だけを聞いて、心にふれていると信じて、あいづちだけを打つ。悲しみを上手に扱えたならわたしたちは笑っていられるの?嘘を嘘だと見抜けたならわたしたちはしあわせになれるの?わすれられない夜を、何度むかえたときわたしたちは死んでしまうんだろう。とおくに近づくために走って、この脚で、もう進みたくないときはそこで踊った、このからだで、なのに陽が沈む前のあの一瞬は、わたしたちのあそぶ心をわたしたちのからだの中に戻す。テレビの画面の何倍も大きな窓から、小麦色の光が射して、あなたのやわらかな白い頬を照らす、黙り込んで呼吸のためだけにうごいているその唇や肩を見ていると、わたしたちが互いにつたえ続けてきた話の、つかい続けてきた言葉の、足りなかった部分は勝手に補われていってしまう。わたしだけのあなたがこのからだに宿る。それをおなじときおなじように感じられたらきっと、死んでもいいくらい満たされてしまうのに、そんなことできるわけないから、いつか別れることばかりを考える。愛さえあれば、すべてうまくいくとおもっていたし、この心ひとつあれば、どこまでもいけるとおもっていたのに、お金も帰る家も着替えさえも持っていないわたしが、あなたのためにできることなんて何ひとつなかった。それでもこのはだかの両手を差し出した。風のあるこの世界でわたしたちは前髪をゆらし、光のあるこの世界でわたしたちは目を細め、眺めあい、笑いあった。二度と会うことのなかった二人のそのさきを、救いようのない物語のそのさきを、わたしたちが勝手に生きる。あいしていると一度でも言ってくれたら、それだけを信じてどこまでも行ってあげるよ、悲しくて泣いてるときあなたがいてくれたら、わたしはもっともっと泣いてあげる、そしていつかわたしたちの悲しみの底にひかりがさす。わたしたちは愚かなできそこないだ、わたしたちは未熟で傷だらけだ、この最悪な世界でわたしたちだけがこんなにもうつくしいの。すべてうしなっても生きていける、あなたを信じている、あなたに宿るわたしを信じている。誰に後ろ指をさされるときも誰に頬を叩かれるときも、わたしとつないでいるあなたの手、あなたとつないでいるわたしの手。
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