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潮騒のbluetokyoのレビュー・感想・評価

潮騒(1964年製作の映画)
2.8
吉永小百合さんって、こんな映画にも出ていたのか。キューポラのある街という傑作映画に出ておいてよかったな。そうでないと、なんでもかまわず出演する主演女優でしかなくなっていたところだ。小説だと、裸になって焚火の炎の上を飛び越えて来い、というのは、それなりにさまになるのかもしれないが、映画にすると、いかにも陳腐な感じだ。それに、もちろん、ヌードにはならない。そうだとわかっているなら、最初から、カットしてしまってもよかったと思う。

簡単にあらすじ。
久保新治は若手の漁師。漁が終わると給料日(給料制なのだ)。帰り道、見掛けぬ小うるさそうな女(宮田初江)を見掛ける。
帰宅すると、貰ったばかりの給料を落としたらしい。
やっべえ、あの女に気を取られたんだあ、くっそお、と言いつつ、帰り道を辿る新治であった。

帰り道をウロウロ探しながら辿っていくと、笑いながら仁王立ちしている若い女がいた。さっきの女だ。
なんだてめえは、と言うと、その女は、お前さあ、さっき、給料、落としたべ、家に持っていってやったよ、すげえ、笑える、アハハハ。

こういう派手な出会いは、たいてい、恋に結びつくものである。

ひょんなことで、新治は、初江と出会ったので、近くにある、かつての海軍の施設跡を紹介してやる。いわゆる隠れ家的な秘密スポットだ。砲弾がどの海面に落ちたかを確認するための施設なので見晴らしがいいのだ。

ところが初江はマムシに噛まれてしまった。新治は、血を吸い取ってやり、おぶって家まで送ってやった。
そういう体験を共有すると、急接近したりするのだ。

ところが、初江は、船主、宮田照吉の娘で、大学を出て、島に帰ってきた川本安夫を婿に取ることが決まっていた。

そのように会ってはならない状況が、ますます、新治と初江を強く結びつけるのだった。嵐の日は漁は休みだし、みなバタついているので、二人で会おう、と約束した。

果たして、嵐の夜、二人は会って、愛を確かめ合うのだった。

そのころ、灯台守の娘、千代子が帰ってきた。千代子は、新治のことが好きだったのだが、帰ってみると、新治は、知らない女といちゃついているので、ショックを受けた。

口惜しさと嫉妬に駆られ、川本安夫に、新治と初江は、こそこそと会って、……、などと告げ口したので、初江の父、宮田照吉は激おこ状態になり、新治は出入り禁止になってしまった。

そんなことをやっていると、またしても、嵐の襲来。なんと、宮田照吉の持ち船が流されてしまった。

あーあ、あれじゃ、どっかの岩場に激突して、ばらばらだんべ、とひそひそ声で口々に言い合う漁師たち。

それを聞いて、ますます、パニくる照吉、おれが海に飛び込んだる、と口走ったりして、大荒れである。

わかったよ、オレが行きゃいいんだろ、と綱を持った新治、嵐の海に飛び込むと、照吉の船まで泳いでいき、綱を結び付けてきた。これで、流される心配はなくなった。

男を上げた新治、照吉も新治のことを認め、晴れて、新治と初江の交際を認めるのであった。

蛇に初江が噛まれたというのは、間違いなく、暗喩なのだから、そのままではなく、もっと工夫したシーンにすればよかったと思う。小説ならそのままでも暗喩になる。
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