ニューランド

メイン州ベルファストのニューランドのレビュー・感想・評価

メイン州ベルファスト(1999年製作の映画)
3.9
かなり以前に1度観たことがあるが、正にこれも恐るべき傑作。ワイズマンの世界の風味を極限まで味あわせてくれる作品だ。この作家の、最もナチュラルで同時にマジカル、アプローチにリキがはいってないようで最も精緻に作り込まれた作品かもしれない。ひとつの地方都市における、漁や家内的工場の労働・絵画や演劇の創作・身体や心への診療での問いかけ・歴史や文学の授業・施設や教会の人々の無気力?等を写し取ってゆくが、ドキュメンタリーとしてはあり得ないような場・サイズ・角度を当て並べ続けてのあらゆる細部・工程への突っ込み・沿い・その持続・構築がなされている。必ずしも、ストレートに伝わり全体を掴みやすい素材を並べてるわけではなくて、脇の歪みが奇妙に沈殿し集約された物ばかりを並べている。その選択は作者が心得切ったもので、一見、細部に入り込み過ぎるか、感覚的に偏った人達にこそ接近するので公・全体・本質を外しまくってるようにも見える。しかし、現在のあり方を超えて、個人・社会の過去・歴史の、本当の姿、ありのままの空気や匂いの全体、そのちっぽけさ、その唯一無二さ、その真実が浮かび上がって来るのだ。ここには語りの効率、テーマへの接近など、殆ど無意味となる。印象をひといろに染め上げることをとことん拒否している。社会通念を真にor挑発的に破壊しているのか、映画、表現だけしか著されない、かつ、最も貴重な時とこころが記録されていく、歴史観や認識パターンが書き替えられてくような、内的スリリングさをおぼえてゆく。その際、その内容が信憑性あるかないかは二の次ともなる。問題はそのあり方なのだ。
一応、上映終了後のトークの時間に打ち込んだ。でないと、ゲストが撮影現場にいた人ならともかく、批評家・評論家の話には例外なく寝込んでしまう(初邦スーパー打込みの貴重な番組~仕事とカブるので数回行った位だが~での文芸座の大寺さんの話では寝込む迄10分を要さない、20時半迄には床につくのが過半の生活のせいもあるが、対策として講演中は下向いて自分用の読書きに集中することに。発表時では仕事の調整は無理の、新企画の情報が洩れ来るを側耳立てつつ)。今日も高尚話に感興は湧かづも、最後に、日仏の坂本さんがこの作家とC・イーストウッドの比較検討したかったと仰ったのには、興味ひかれた。意外な並べ方、商業映画ど真ん中と全く外れたポジションの二人だ。飾り気のないスタイル、どんな題材にも無心・予防線無しでのスタンスのことか、あるいは同年生まれの現役バリバリという事で(’30生まれの文化人・有名人はきら星の如くで、映像制作に限ってもジグモンド・Jフランコ・牛山・Rドナー・武満らが目に入り、俊英監督もこの二人と同格かそれ以上の存在として、ゴダール・深作・シャブロル・熊井・フランケンハイマー・山下・西村・浦山らの名を、簡単に思い付くことができるので、拡げても。) ? どれも語り合う事でもない、私の発想にはない、これは聴いてみたかった。
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