プリオ

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団のプリオのレビュー・感想・評価

4.0
5年生になったハリーたちは、復活した闇の魔法使いヴォルデモートとの対決に備えるために、動き始める。

映画の特徴としては、カット割を多くして、アップテンポなミュージックにのせて、テンポ良く話が進むところ。

ストーリーの大きな要としては、「ハリーとヴォルデモートの繋がり」。ハリーがヴォルデモートを感じると同時に、ヴォルデモートもハリーを感じる。ハリーの思春期のイライラをうまく表現していたと思う。

結論を先に言うと、ハリーポッターが無条件で好きな人間なので、今作も楽しめた。

しかしだ。しかしなのだ。

冷静に見ると、映像や音楽の出来に比べてストーリーがなかなかに薄いのだ。テンポのよさと軽快な音楽に騙されそうになるが、今一つ映画としてまとまりが悪く、テレビドラマ感が否めない。

おそらく、それは、監督と脚本家が変わってしまったことが原因だと、僕は睨んでいる。

これまでの脚本家であるスティーブ・クローブスは、原作を映画的に変化させていった。

「賢者の石」は、ほぼ原作通りだった。
結果的にはダイジェストの様な作品になってしまったが、原作のイメージを忠実に映像化して、評価された。

「秘密の部屋」、「アズカバンの囚人」では、原作の間延びする部分を大胆に切った。テーマを絞り込んで見せ場を強調して、映画としての完成度を高めた。

「炎のゴブレット」はお見事の一言。2冊にも及ぶ原作を、見事にまとめ上げた。魔法対抗戦とヴォルデモートの復活をベースに、ハリーたちの青春劇を作り上げた。少しずつ大人に変わっていく事は止められないというメッセージも残し、なんともいえない感動を残してくれた。

そうやって、映画としてのハリー・ポッターの型が出来始めてきたのだ。

ところが、である。

今作で、脚本家が変わってしまったのだ。

そして、監督もほとんど新人がやることとなった。確か今作を撮るまで、映画も撮ったことなかったんじゃないかな。

その結果、映画としての完成度は下がってしまった。削るべき所も削らず、映画的テーマの絞込みもなかった。それは、映画として大切な何か「血」のようなものが消えたともいえる。原作のままを観たいというファンの声に応えたのかもしれないが、それは映画としての完成度を落としてしまうことになるので危険なのだ。

小説と映画は、全く別物なのだ。そこは観る側も作る側も理解しといた方がいいと思った。確かに、ここまで世界的に支持されている本を、大胆に変える事は許されない。でもその一方で、上下巻2冊の原作をそのまま映画化する事は不可能なのだ。

予言の秘密、ハリーの秘密、ハリーとヴォルデモートとの関係など、全て腑に落ちないまま、壮大な音楽と共に流れるように進んでいくある種のミュージックビデオのような映画。まるでダイジェストで、置いてけぼり感が強くて、本を読んでいない観客のことなんて考えていない作り。大事な人の死、チョウとのキスもかなり重要なシーンだと思うんだが、涙を流したり、胸キュンしたり、する事もできなかった。

「不死鳥の騎士団」以降、今作の監督デイビット・イェーツがラストまで制作する。人によったら、この監督になってからの方が好きという人もいるだろう。でも、個人的は1〜4までが好きだった。今作から明らかに何かが変わってしまった。それは単純に、内容がダークになっただけではない。何か大事なものが消えてしまった気がする。


なんか文句ばかりになってしまったが、いずれにせよハリーポッターは大好きな人間です。大好きだからこそ、いろいろ言いたいのです。

最後に、シリウス・ブラックの言葉を。
ー「誰しも心のなかに光と闇の両方の面を持っている。大事なのは、どちらの道を選ぶか」
プリオ

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