いもようかん

ナイトメアー・ビフォア・クリスマスのいもようかんのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

毎年クリスマス前に欠かさず観ていて大好きな映画の1つです!

(⚠︎以下全てネタバレと考察です)
映画のラストでゼロが、ジャックとサリーがキスをした後に飛んでいって空の星になったシーンで泣いてしまいました…

各サイトのナイトメアビフォアクリスマスのあらすじのラストに「ジャックは愛を知った。それを見届けてゼロは夜空の星となった。」とあります。また一般的に、星になる=(人が)死ぬ ということです。

以上より、
ゼロには墓がある、つまり生きていたが死んだ(当たり前ですが)→ハロウィンの世界でジャックの相棒として過ごしていた→ジャックがサリーと結ばれた=これから共に歩む存在を見つけた→ハロウィンの世界から物体としてのゼロは死んだ
ということではないかと思いました。

そこで、「生前のゼロは生前のジャックと何かしら関わりがあった、又は生前の飼い主をジャックと重ね合わせていたのではないか?」という仮説を立てました。

ジャックの正体や、そもそも生きていて人間だったのかどうか(劇中に「もう死んでるから」というセリフがありますが、それは「昔は生きていた」のではなく「現在のジャックは人間的な意味で生きているのではない」ことかと思います)、についての公式からの言及はありません。しかし、ゼロには墓があるので少なくともゼロは生きていたことは明らかです。

人間と犬の関係はしばしば親友に例えられます。ジャックとゼロの関係も「相棒」や「親友」と呼べるのではないかと思います。ゼロは(冒頭より)普段墓場の墓に居てジャックが合図して初めて姿を現わしたり、ジャックの部屋で寝ていたりと、ジャックといつも"2人だけ"でいたわけです。ハロウィンタウンの住人はゼロの存在は認知していますが、ジャックが居ない時にゼロと住人の交流は描かれていません。だから、ゼロは「ハロウィンタウンの王であるジャックの孤独に寄り添う存在」といえます。
ナイトメアビフォアクリスマスの元(というか逆)となっているグリンチでも描かれているのは、犬とは「主人公の孤独に寄り添えるものの、孤独を埋めることはできない存在」ということです。

さて、仮説に戻りますが、ラストでジャックはサリーという、彼の孤独を埋めてくれる人、孤独から救ってくれる人を見つけたのです。それを見てゼロが星になったのは孤独に寄り添う」役割から解放かれたかではないでしょうか。(役割といっても強制的、義務的なものでは決してなく、恐らくゼロが望んだもので、物語的な役割のことです。)
ではなぜゼロはその役割を担っていたのか?そこには、①生前の思いを果たすため、と②ハロウィンタウンで出会ったジャックと気があったから、の2通りを考えました。
生前のゼロは飼い主と親友として生きていたが、彼が孤独から救われて幸せになる姿を見れぬまま死んでしまった。
①死後、ハロウィンタウンで生前の飼い主であるジャックと出会い、又は②飼い主とジャックを重ね合わせて、行動を共にした。クリスマスの騒動を経て、晴れてサリーと結ばれ幸せを手にしたジャックの姿を見たことでゼロは生前から続いていた役割を全うし、星となった
…という語られない前日談があったのではないか?というのが仮説です。

もちろん上記のストーリーなど無く、ただの演出としてゼロが星になったとも考えられますが、こんなストーリーがあったらいいな、と思い書きました。
余談ですが、ゼロが星になった後に一度ピカッと光ったのは、劇中でも印象的だったゼロの「わんっ!」と吠えた声の(変な表現ですが)星バージョンだったなら可愛いしより泣ける…とも思いました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
いもようかん

いもようかん