カラン

コントロールのカランのレビュー・感想・評価

コントロール(2007年製作の映画)
3.5
70年代のパンクやグラムが流行った時代。マンチェスターで結成されたバンドの走りと、ボーカルの短い青春。


☆ボーカル

ロックバンドのボーカルの映画なのに、端的に言って、その歌に魅力がない。主人公役のサム・ライリーの歌は口先だけでまるでパワーがない。エンディングはご本人の声らしいが、それもねえ。それこそ劇中でかかるイギー・ポップとかの方が魅力的だよね、、、圧倒的に。


☆ショット

映画というのは1秒間に24枚の写真を連続的に投影する芸術であるので、びしっと決まった画のことを昔の日本の映画人は「シャシン」といったりした。例えば、成瀬巳喜男のことを溝口健二は「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつもキンタマが有りませんね」と口汚く評したのだという。ここで問題になっている「シャシン」とは、シーン > シークエンス > ショットという場合のショットのことを言っているのだと思われる。スタティックないわゆる一枚写真が広告以外にも映画の中で使われるが、それは「スチル」(スチールとすると金属や盗塁みたいだ)と呼ばれている。スチルとショットは違う。

本作はパナビジョンの35mmフィルム用のカメラで撮影されて、ポスプロで白黒に仕立てたらしい。監督のアントン・コービンは、写真家として名を上げて、ミュージックビデオもたくさん手がけた。しかし、本作においてはショットに力がない。本作を静止画、ばらばらのスチルとして見るのだとしても不十分に思える。雨の日の電話ボックスとか、水が流れる静けさを捉えたものなどは写真集に向いていそうだ。しかしそれで映画のショットになるわけではない。

本作が最も映画のショットに接近したのは2箇所だろうか。

① 電線

主人公は高校時代から呆け老人の宅に馴れ馴れしく上がり込んでは、トイレにある抗精神薬を盗んで麻薬の代わりにしたり、てんかんを患っているので、彼の神経回路は相当にスパークしているのだろう。ある日、とぼとぼ歩いていて、各戸に張り巡らせたワイヤーが集約している電柱を見上げる。これは確かに物語を重層的に表現している。しかし、足りない。張り巡らせたワイヤーで脳内カオスを表現するのは分かるが、キャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』(2008)くらいにやってもらわないと、溝口健二の言うところの「キンタマがないシャシン」となってしまう。

② 黒煙

この映画は主人公が首を吊った姿は映さない。サマンサ・モートンによる絶望的なリアクションを映す。家の中から出て来て、赤ん坊を抱きながら、死にそうな顔でヘルプと。そこでクロスカットと見せて、フラッシュフォワード気味にジャンプして、葬列に向かうベルギーの女をロングで映す。すると、サマンサ・モートンにまた戻ってくるので、単なる省略ではない。そこからさらに、葬式の場にフォワード。リアクション芸による死のショットの回避と見せておいて、この複雑なテンポのモンタージュから、ラストショットに向かう。煙突から雲間に交わる黒煙のショットを導くのである。立派なモンタージュで構成された優れたシーンである。しかし、厳しいことを言うと、やはりショットが弱々しいかな。煙を横から撮っただけだから。他のショットが全体的に無駄になっているので、もうちょっと結束していれば、このままでもパワフルなショットになっていたのかもね。


☆サマンサ

サマンサ・モートンは相変わらずアンチダイエットを自然な仕方で実践しましたという体形で、本作で浮いている。なぜなら、彼女だけが映画の演技をしていたから。他の方々はミュージックビデオにおあつらえ向きというレベル。



レンタルDVD。2chの音質は良い。

55円宅配GEO、20分の13。
カラン

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