nt708

終着駅のnt708のネタバレレビュー・内容・結末

終着駅(1953年製作の映画)
1.4

このレビューはネタバレを含みます

偶然にも二日連続で往年の不倫映画を観た。だからだろうか、、本作が不倫映画としていかに面白くないかが際立っていたように思える。本作の何が面白くないって、駅から世界が全く広がらない点である。本作の舞台はタイトル通りの「終着駅」。時間の流れも現実の世界と同じであり、実に実験的な作品ではあるのだが、それが作品の質を上げるうえで一役買っているかというと全くもってそうと言えない仕上がりなのである。

まず登場人物のキャラクター性が薄い。なぜ彼女はローマに来たのか。なぜ彼女はローマで出会った見ず知らずの男に惚れたのか、、あるいは、なぜ彼女は家族を捨てようとしてまで彼についていこうとしたのか。主人公の女性に対する疑問のうち本作で解消されていない疑問だけでも挙げればきりがない。それに彼らふたりに対する同情の余地が全くないのも、映画としては致命的だ。それぞれのキャラクター性を丁寧に描いていないからか、本作で描かれている世界が二人の周辺だけで完結しており、観客にさえ疎外感を与える盲目さ。せっかく妊娠4か月の女性やポール、警察との関わりを持っていながら、そういった設定が見事なまでに活きていない。どうしたらこんなにつまらなくすることができるのか不思議なくらいである。

『ティファニーで朝食を』もそうだが、トルーマン・カポティの小説を映画にするとどうもつまらなくなってしまうようだ。それは彼の小説がいかに文学として完成されているのかの証明でもあろう。こういった物理的な制限があり、かつ会話を中心に物語が展開していくものは舞台でやったほうが断然面白くなるはずだ。いつかそんな挑戦をできる日が来ると良いなあと思う。

兎にも角にも、本作は不倫映画としては愚作。好みの問題もあるが、自分が苦しいのは自分の蒔いた種が原因にもかかわらず、被害者面をしては、周りの人々も傷付ける。そんな人間を、あるいはそんな人間を描いた映画を誰が面白いと思うのだろうか。そのうえ本作の物語はろくでもない人間の周りだけで完結しているのだから観るに堪えられるはずがない。こういう映画を自分は絶対に作りたくない、、と良い勉強になった作品だった。
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