工藤蘭丸

メランコリアの工藤蘭丸のレビュー・感想・評価

メランコリア(2011年製作の映画)
4.4
ラース・フォン・トリアーの鬱三部作の2作目、2011年の作品となる異色SFですね。これは彼の監督作品の中で、私が唯一公開当時に劇場で観た作品だったけど、その斬新さには目を瞪ったものでした。

でも、当時斬新だと思った冒頭のスローモーション撮影は、前作の『アンチクライスト』でも使われていたので、本作はその進化形といったところかな。前作は話のプロローグとなる部分を白黒の映像で綴ったものだったけど、本作の方は話の後半部分が綴られているので、いきなり観ただけでは意味不明。それが、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲をバックに8分ほども続くというミステリアスな始まりでしたね。

その中には、実際にブリューゲルの『雪中の狩人』の絵も出て来たけど、超スローモーションの美しい映像は、まるで絵画を観賞するような趣もあって、劇場で観た時はその映像美も印象的だったものでしたね。でも、超ロングショットの映像などもあり、テレビの画面からはいまいちその美しさが伝わって来ないので、やはりこういうアート系の映画というのは、劇場で観るに限るとあらためて思いました。

タイトルのメランコリアというのは、地球に衝突することになる惑星の名前だけど、もちろん鬱病という意味も掛けてあって、主人公の女性は自分の結婚披露宴も、奇行で台無しにしてしまうほどの重症。

ところが、いざ地球最後の日が近づいて来ると、パニックになるのはそれまで正常だと思われていた人たちの方で、一体どっちが病人なのか分からなくなるという、精神疾患の本質を実に的確に言い当てている作品でしたね。

精神疾患というのは、身体の病気とは違って痛くも痒くもないし、それが直接的な原因となって死ぬこともないので、本来は病気とは言えないもの。言ってみれば個性のようなもので、その個性が強すぎて社会に適応出来ない人たちの事を、症状に応じて分類し、精神病というレッテルを貼っているわけですね。

そういうわけなので、社会の方が変化すれば、それまで適応出来ていた人たちが適応出来なくなることもあり得るし、もちろんその逆もあり得る。鬱病の人というのは、将来を悲観的に考える傾向があるので、実際に悲劇的な状況に陥るのは想定内で、冷静でいられるのかも知れませんね。

私なんかも、若い頃は多少精神を病むような傾向があって人づきあいが苦手だったから、昼間は寝ていて深夜に働いていたことなどもあったものでした。深夜に働いている人の中には結構そういうタイプの人も多く、当時の仲間とは、もし戦争や大災害でも起きれば我々の時代が来る、などという話をしていたのを思い出しますね。😅

ちなみに、本作が公開された2011年というと、東日本大震災があった年で、わが家も大規模半壊に認定されるほどの被害があったものでした。数日間は停電や断水が続いて、店に行っても品物がなく、避難所に行ってパンやカップラーメンなどをもらって食べていた人などもいたようだけど、わが家ではここぞとばかりに、冷凍していた牛肉やホタテなどを解凍し、石油ストーブや七輪を使って調理も出来て、むしろ普段よりもリッチな食事を摂ることが出来たものでしたね。😚