円柱野郎

メランコリアの円柱野郎のネタバレレビュー・内容・結末

メランコリア(2011年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

映画の冒頭で提示されるイメージ。
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」と共にスローモーションで描かれるそれは、まるで絵画の様に印象的で脳裏に焼き付く映像だった。
星がぶつかること以外は(その時点で)何を意味した映像かはハッキリとしないのだけど、続く第一部、第二部を見るとそれがつながっていく。
つながっていくだけじゃなく、はっきりとした啓示として最後に何が起こるのかを認識させてしまうパワーがある。
何と言ってもその冒頭のイメージが強烈だったからね。
この終焉に対する絶望と達観は登場人物たちが感じているもの、まさにそれであって、終焉を登場人物が認識した次点で「ああ、あの見た通りに世界は終わるのか」と完全にリンクし話に入り込んでしまった。この感覚に持っていく作劇はなかなか。

究極的には地球は避けられようもなく消滅してしまう。
その瞬間に至り、第一部の主人公ジャスティンは何もかも失って絶望していた魂が解放され、救済されるという描かれ方、そして第二部の主人公・姉のクレアは、未来を知り子供の将来を思い絶望する。
この二者の対比がまさに"人間"の心理を描けているとも思うし、同時に未来に対しての希望を完全に否定している様にも…。
やはりトリアー監督は人間を信じていないのかな。

メランコリアとは惑星の名前でもあるけれど、第一部でのジャスティンの披露宴での鬱状態、そして第二部での終末におびえるクレアの憂鬱を指していて、やはり惑星云々という話は状態を演出するためのものでしかないかと思う。
それにしては圧倒的に存在感はあるが、でもその邸宅のみが舞台だし外界の情報はほとんどわからない。
やはりパーソナルな心理の映画だよね。
これがもしハリウッドなら星を破壊する勢いで宇宙に飛び出すだろうがw
円柱野郎

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