櫻イミト

リバース・エッジの櫻イミトのレビュー・感想・評価

リバース・エッジ(1986年製作の映画)
3.5
キアヌ・リーブス(当時21歳)の映画出演2本目。岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」(1994)の元ネタとしても知られる青春犯罪ドラマ。柳下毅一郎のオールタイムベストテンの一本。

アメリカ郊外の街。河原に座るジョンの後ろに若い女性の全裸死体が転がっている。高校ではマット(キアヌ・リーブス)ら仲間たちがコカインを吸ってつるんでいたが、そこにジョンが現れガールフレンドを殺したと告白する。皆で現場へ行き実際に死体を目にするが、何故か実感が沸かない彼ら。とりあえず、元暴走族でマットたちにコカインを流しているフェック(デニス・ホッパー)の家にジョンを匿ってもらうが。。。

それぞれの時代に社会を反映した青春映画がある。本作で描かれるのは1980年代半ばのアメリカ郊外の高校生たち。目立つのは再婚家庭が多いこと。そしてそれも遠因なのか?彼らには人道的な感覚が欠如しているように見える。仲間の死に対して一瞬の動揺はあるが誰一人として悲しみは見せず、涙が出ないことを彼ら自らが不思議がるほどだ。そして動機なき恋人殺しを犯したジョンは終盤、殺しの瞬間に心の充実を感じたと告白する。これはサイコパスの域である。同じ傾向が仲間たちからも感じられる。

対して、ホッパー演じる旧世代のフェックは“妻殺し”の過去を持ち、現在はダッチワイフ人形を恋人として暮らしている。一見して若者たちよりも異常に見えるのは彼の方だ。しかし新世代と違って彼には明らかな動機が伺える。それは愛憎心でありサイコパスとは種類が違う。

そしてもう一人、重要な登場人物がキアヌ演ずるマットの小学生の弟である。彼は兄に叱られたことに腹を立て偶然手に入れた拳銃で兄殺しを思いつめる。その顛末を通して、社会からの影響は受けつつもまだ染まりきっていない心を描いている。本作で唯一の性善説であり、即ち若者たちのサイコパス心性は当時社会の影響による後天的なものと主張しているように感じられる。

では1980年代後半のアメリカ社会の特徴とは何だったろうか?思いつくままに挙げれば、「革命の時代の挫折」「資本主義と個人主義の徹底」「キリスト教的道徳の失墜」・・・実際はもっと複雑で根深いものがあると思うが、結果的に本作の若者像を一言で表せば “空虚”。生にも死にも実感がないのだ。

本作を下敷きにした岡崎京子「リバーズ・エッジ」は同じく若者たちの“生の実感なき日々”を90年代日本に舞台を置き換えて描いていた。同作で繰り返し引用されるキーワードが“平坦な戦場で僕らが生き延びること“(米サイバーパンク作家ウィリアム・ギブソンの詩「愛する人」(1991)の一節)。

“平坦な戦場”で“生の実感がない”などと言うのは、単に平和ボケの贅沢病なのでは?と捉える向きもあるだろうし実際その通りかもしれない。しかしどうであれ、世界の若者たちが同じような空虚感に苛まれていたのは事実だ。やがて時代は世紀末を迎え、日本の場合は日常破解願望からオウム真理教が生まれ大事件を起こした。そして新世紀はインターネットの登場によるパラダイム・シフトが起こり現在に至る・・・。

本作は同時代批評的な映画であり現時点でレビューするのがなかなか難しい。ただ一点、当時の“空虚感”が克服されたのかどうかだけ気に留めておこうと思う。インターネットによって若者たちの人間関係も時間の費やし方も大きく変わり、“空虚感”は主客共に見えにくくなった。一方で、本作で描かれたようなサイコパスな事件は今も散見する。現代社会を反映した青春映画の決定打に期待したい。
櫻イミト

櫻イミト