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普通の人々のkojikojiのレビュー・感想・評価

普通の人々(1980年製作の映画)
3.5
第53回アカデミー賞作品賞,監督賞など4部門受賞

1980年作品。
封切りの時以来の鑑賞だから40年以上も前のことになるが,各シーン,結構覚えていた。それだけ心に残った作品だったということだろう。

 シカゴ郊外に住む弁護士一家の普通の日常から始まる。しかし何やらそれぞれが気遣い,取り繕っているように見える。一人息子は目のクマが異常でどこか落ち着かない。
実は、この家族は半年前に長男が水死事故を起こして以後、父、母、次男の悩みが露呈し、心がちぐはぐになり、家庭は崩壊の状態。次男は自殺の未遂し、病院に入院、やっと退院してきたばかりなのだ。

映画は、この家族の再生の物語だ。



 
(ネタバレ注意。)




何故「普通の人々」なのだろう。
私は当時、表面上は繕ってもどの家庭もそれぞれ悩みを持ち、それぞれ苦しんでいる。それが普通の人々なのだと映画は言っていると思っていた。
今回観直して、私はそれは間違っていたと思った。
この家族は普通ではない。

この家族の再生の鍵は実は母親ベス(メアリー・タイラー・ムーア)と次男弟コンラッド(ティモシー・ハットン)の関係にあると思う。
コンラッドは母親ベスの愛情に飢えている。しかしベスはどうした訳かコンラッドには距離を置いている。兄が生きているうちは、兄を介してなんとかバランスは取れていたが、その兄を亡くし、ベスもコンラッドもお互いにどう接していいかわからなくなっている。

そして父親カルビン(ドナルド・サザーランド)はまた、ベスの言動に振り回され、自己主張もできない。

したがって、この3人の関係は兄が死ぬ以前からこうした関係で兄がいなくなってそれが顕在化したのではないだろうかと思える。
しかし、この関係は普通の家族ではあり得ない。

何故そう思ったのか。ラスト近く、カレンの死で自分の再発を恐れたコンラッドが精神科医に助けを求めて再生の道が見え始めた後、旅行から帰った母親ベスを抱きしめるシーンがある。
ベスは驚いたような顔をする。私は当然コンラッドの異変に気づいたと思った。やっとこれでコンラッドと向き合えるだろうと普通なら思う。ところが、このベスは理解していなかった。
自分が腹を痛めた子で、しかも兄の死で精神が病んでいる子の異変(再生の道が見えてきたという異変)の意味に気がつかない母がいるだろうか。彼女は、とうとうその道が見えてきたコンラッドと会話することなく家を出ていく。
あり得ない。と私は思いたい。

もちろんこの後、長い年月をかけて、この母と子は理解していくと監督は言いたいのかもしれない。しかしそれでは「普通の人々」ではないだろう。
この映画でそれを描かず「普通の人々」はないだろう。

最後に一つ、黒人が全く顔を出さないという異常な事実を知ってから、この映画は素直に観ることが出来なくなった。非常に残念だ。

忘れてはいけない。作品の主題曲「パッヘルベルのカノン」はすごくいい。

2023.02.23視聴82

監督:ロバート・レッドフォード
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