Dakota

グリーンマイルのDakotaのレビュー・感想・評価

グリーンマイル(1999年製作の映画)
4.2
・奇跡の死刑囚への贖罪
【あらすじ】
1935年、大恐慌下のアメリカ。ノース・カロライナ州コールドマウンテン刑務所にある日、一人の死刑囚が収監された。男の名はジョン・コーフィー。筋骨隆々な黒人の大男だが、その見た目とは裏腹にどこか穏やかな雰囲気を醸す。死刑囚の看守主任を務めるポール・エッジコムは、人智を超えたジョンの不思議な力が起こす数々の奇跡を目の当たりにする…。

▼ジョンは、二人の幼い姉妹を暴行し殺害したとして、死刑判決を受けた。だが、おっとりした口調やその小心な姿などと、残虐非道な犯行はどうも結び付かない。ポールは当初から、彼は無実なのではないかと考える。

▼ジョンは、他者の痛みや苦しみに非常に敏感だ。そして、それを和らげる不思議な力を備える。死刑囚デルのペットのネズミ「ミスタージングルス」を生き返らせたり、刑務所長ハルの妻メリンダの脳腫瘍を治したりするその姿は、まさに神の使いを思わせる。力を使う代償としてジョン自身も多少の苦しみを負うが、それを顧みず他者を助けようとする彼に、ポールや同僚ブルータルらは次第に心動かされてゆく。

▼若手刑務官のパーシーは、州知事夫人の甥という立場を盾に、傍若無人な振る舞いを見せる。死刑囚を蔑み愚弄するトラブルメーカー。看守の自覚に欠け、仕事も満足にこなせないのにプライドだけは高い。死刑囚と真摯に向き合い、看守の責務を全うしようとするポールやブルータルらとは対照的だ。

▼デルの死刑執行は、作中でも印象深いシーンの一つだ。主担当を務めたパーシーは、からかわれた腹いせに、正しい手順を踏まずデルに電気椅子をかける。すぐに感電死に至らず、意識がある状態で電流が流され続ける。刑場に響く苦痛に満ちた悲鳴。全身から煙が立ち上り、やがて顔から火が噴き出し、デルはようやく死に至る。顔を背けたくなるほど凄惨なシーンだ。

▼ パーシーと並ぶ問題児なのが死刑囚ウォートン。頭のイカれたサディストで、この男こそが二人の姉妹をレイプし殺害した真犯人だった。不思議な力で他者を助けるジョンは、逆にその力でウォートンとパーシーに罰を与え、罪の報いを受けさせる。

▼ジョンの無実を知ったポールは、彼を助けたいと思うが、時既に遅し。助けるための正当な方法はない。

▼死刑執行前夜、ポールは彼に「逃がしてほしいか?」と問い掛ける。ジョンは答える。「あんたはとても苦しんでいる。俺にはわかる。俺はこれ以上生きていたくない。醜いことをし合う人間にも疲れた。これ以上耐えられない」と。救いを求め死を望むようにも見えるが、ポールを思う気持ちのほうが大きかったのではないだろうか。ポールは涙を必死に堪えながら、ジョンの死刑を執行するのだった。

▼ポールの現役時代の長い回想として、物語は進む。現在は施設で暮らす老人の彼は、不思議な力で他者を助ける奇跡の男ジョン・コーフィーを電気椅子にかけた業を背負い生きている。その報いとして「とある罰」を受けているのだと語り、物語は幕を閉じる。

▼タイトルにある「グリーンマイル」とは、コールドマウンテン刑務所の死刑囚棟を指す。床があせた緑色をしているため、その名が付いた。

▼作品終盤のポールのあるセリフが非常に印象深い。「そしてこうも思う。人間は皆自分のグリーンマイルをそれぞれの歩調で歩いているのだと」。人は誰しも、生きていく上で大きな過ちを犯す。それは法律的に限らず、倫理、道徳的に背くものもある。そして、何らかの形でその報いは必ず受けるのではないだろうか。生きることは贖罪の連続であり、死の瞬間までついて回る、人に課せられた宿命なのではないかと感じさせられる。
Dakota

Dakota