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異人たちとの夏のデニロのレビュー・感想・評価

異人たちとの夏(1988年製作の映画)
4.0
この間「ハザカイキ」という芝居を観に行った。主演は丸山隆平。その舞台に風間杜夫が出演している。風間杜夫の娘役で恒松祐里が出演していて、親子の役柄なので並んで立っている場面が多いんだけれど、風間杜夫のからだのつくりが恒松祐里に比べて大きくて笑ってしまった。お顔なんて1.5:1ですよ。で、本作の風間杜夫を見ていると30代の終わりとはいえ映画スターという感じでお肉も付いておりません。彼を初めて観たのは日活のロマンポルノだったと思う。田舎で『秘本袖と袖』、『壇の浦夜枕合戦記』を観て、上京後、田中登監督の作品を追いかけて『昼下がり情事 変身』、『真夜中の妖精』、『女教師 私生活』を観たのでした。甘いお顔で少年のような役を無理なく演じられていました。とりわけ『昼下がり情事 変身』で演じた花屋の少年役が見事だった。映画ばかり観ているとバカになるとどこかの誰かが書いていたので舞台を観始めた頃、当時話題になっていたつかこうへいの舞台を高田馬場にあった小さな劇場で観た。それがあまりにも面白かったのでつかの代表作「熱海殺人事件」も観なくてはと紀伊国屋に並んでチケットを手に入れたものです。その舞台が風間杜夫の木村伝兵衛デビューなのでした。妖しく化粧をしてあくまでも声は甲高く舞台上をキレッキレで飛び跳ねておりました。少しどこかがおかしいんじゃないかと思ったほどです。その後テレビにも進出して「スチュワーデス物語」で人気が出たそうですがよく知りません。その後の活躍は知っての通りですが、数年前、新宿梁山泊の唐十郎作品で70歳を超えてテント芝居にも客演したのです。今や準座員の如くに出演しております。立っていない舞台は、歌舞伎と宝塚だと笑いを誘っております。

その風間杜夫が主演した作品です。

1988年製作公開。原作山田太一。脚色市川森一。監督大林宣彦。え、監督が大林宣彦だということを失念していた。本作は、秋吉久美子、名取裕子という年増女を絡ませるストーリーで、大林監督のそれまでの作品にみられた未熟な少女を慈しむという個人的な嗜好から発露していくものとは真逆のものです。しかも、秋吉久美子と名取裕子の役柄は逆ではないかとも思えるのだけど、その配役の効果が妖しく出て来るところが映画の魔法。35、6年前に観た時には何か切なく胸に迫った物語だったのですが、今回は性的に微妙な感興が沸き起こりました。。80年代の終わりにレンタルビデオで観ただけだったので、この機会にと。

風間杜夫はテレビのシナリオライターで、なかなかの人気作家であるようだけれど、結婚生活はうまくいかずに離婚をすることになる。元奥さんからは、息子に少しは会う時間を作ったらなんて言われている。テレビ局のプロデューサー/永島敏行とはウマが合うようだけど、風間杜夫の奥さんに横恋慕していてふたりが離婚することになったことにより、かねての思いを打ち明けるのだと仁義を切りに来る。/あんないい奥さんと別れるなんてどうかしている。/あんなのを好きになるなんて気が知れない。/ははは、そんなものなのかもしれない。

目白通り沿いに建つ仕事場のマンションにひとり暮らし。家族で暮らしていたマンション、貯金、証券類はすべて別れた妻に渡してきた。そして今や聞こえる音は道路を行き交う車の音だけ。このマンションに住む住人は自分と、夜にあかりの点く3階の住人だけらしい。訪ねてくれるのは永島敏行くらいだ。その彼も仁義を切った以上仕事は一緒に出来ないと下手な極め台詞を放って去って行った。あんな俗な台詞を乗り越えようとドラマ作りをしていたのに、実際はこんなものなのかもしれないと自嘲する。孤独という毒がこんなにも精神を損なうものなのか。気晴らしに局に台本よみ合わせに出向くとアイドル女優は漢字が読めない。なんだ此奴は!これは山田太一の体験なのか、市川森一のものなのか。笑うに笑えぬシーンです。ある夜、インターフォンが鳴る。誰かと思ってドアを開けるとほろ酔いの女/名取裕子がシャンパンを片手にドアに凭れかかる。このマンションのもうひとりの住人だという。ひとりじゃ飲み切れないから一緒に飲みませんか。体よく断ってドアを閉める。飲みかけのシャンパンなんて。

不図、目についた浅草という文字に誘われて銀座線に乗り込み浅草に行く。ブラブラしながら浅草演芸場に入るとケタケタ笑う男の声に惹かれて覗いてみると、見覚えのある横顔。その男が立ち上がって近づいてくる。似ている者もいるものだと独り言ちていると、男がすぐ目の前にいて、出るか、と気負いなく話しかけて来る。

そうして異人たちとの夏が始まります。

その男が父親/片岡鶴太郎、そして母親に秋吉久美子。12歳の時に交通事故で亡くなった両親に息子/風間杜夫は、ふたりの住むアパートの小さな部屋で孤独を忘れたかのようにはしゃぎます。気分よくマンションに戻ると名取裕子の気持ちも分かる気がして自分の部屋に誘って、ということになりこちらは男と女ですもの、どうにかなっちゃうんですが。/前は見ないでひどいやけどなの。後ろからして。/エロい。

三遊亭円朝作「牡丹燈籠」のような話で、父母に会っているうちに風間杜夫がどんどんやつれていくことをテレビ局の人間や名取裕子に指摘される。もう会っちゃダメ、と名取裕子に釘を刺されてもついつい浅草に足が向いて楽しくひとときを過ごしてしまう。再見して妖しい感興が起こったというのはこのアパートでの秋吉久美子の風間杜夫への振舞です。彼女の振舞にぎこちなく反応する風間杜夫を観ながらいや~な感じがしたものです。秋吉久美子をここに配したのは実にこのいや~な感じを出すためだったのではないかと、そう思うのです。名取裕子ではここは艶めかしすぎる。秋吉久美子がそれまでに演じて纏って来た、幼さや奇天烈な雰囲気がわたしの記憶の中で全面展開して母と息子の交わりとは別の何かを思わせるのです。スリップ姿の秋吉久美子ととランニング姿の風間杜夫の交わりに怖気づいてしまうのです。

さて、三遊亭円朝の幽霊は、本作においては実は名取裕子の方だった、という落ちなんですけれど、牡丹燈籠の新三郎とお露もお互いに一度会ったっきりでそのまま会えないという孤独という毒が回ってしまったのですが、本作の孤独は風間杜夫だけではなく、名取裕子の孤独や、幼い子どもを置いて片岡鶴太郎、秋吉久美子の夫々が死の意識なく死んでしまった未練、成長した息子に会うまでの28年間の空白が痛いほどよく分かるようになっています。

今、目の前にいる人が何を思っているのかを感じ、相手の思いを知り、そしていちばん大切なことはかんがえること。孤独や争いごとは疎外感からくるのではなかろうか。そんなことが孤独や争いごとを防ぐ糸口になるんじゃないか、そんなことをかんがえた一作でした。

神保町シアター 映画で辿る――山田太一と木下惠介 ――テレビドラマ草創期を支えた師弟二人 にて
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