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砂の上の植物群のbluetokyoのレビュー・感想・評価

砂の上の植物群(1964年製作の映画)
3.0
見て面白いか面白くないかと言えば、あまり面白くはない。なぜか、それは、この後、東映エロ路線とか、日活ロマンポルノが出てきてしまい、どうやっても、性、性欲、といったテーマへのアプローチをするなら、見劣りがしてしまうのだ。
さらに、その手の映画に比べて、無駄に観念的、かつ、策を弄しているように思えてしまったりする。
観念的なら、原作の小説を読んだ方が面白いはずである。

簡単にあらすじ。
主人公、伊木一郎は、前を歩いている女の足を見詰めて後を付いて行ってしまうほど、エロ妄想というか、セックス依存症というか、ムラムラしているわけである。肉感的な妻にも、父親との間を勘ぐったりしている。

友人二人も、なぜかムラムラしている。まあ、男はだいたいこんなものかもしれない。
一人は、いまでいえば、完全に痴漢行為をしている。しかも、痴漢していた女の後を付いて行ってしまうのだ。
もう、一人は、ほかの二人を誘って、覗き部屋風俗を楽しむ。覗き部屋なんて、いまはないだろうなあ。あってもいいような気もするけど、法律的に無理だ。
知り合いの葬式だかに、三人が行くわけだが、未亡人になった女だかにエロ妄想を抱いたりする。こうして、世の男たちは、悶々としているのだ。

そんなことをやっているうちに伊木一郎は、マリンタワーで、女子高生、津上明子と知り合う。伊木一郎と津上明子は、ラブホに行く。ホテルというよりも旅館なので、連れ込み旅館、ということか。
ただ、セックスシーンはおろかヌードもないので、その先の話に意味はない。思い切って、カットしてしまってよかったと思う。

津上明子は、伊木一郎に、姉の津上京子をひどい目に合わせて欲しいと頼む。明子にはモラルを厳しく求めているのに、京子自身は、ラブホに入り浸っているから、ということらしい。動機がよくわからない。

伊木一郎は、さっそく、京子が勤めている、バー鉄の槌を訪れる。京子はその店でホステスをやっていた。ちょっとモーションを掛けると、簡単についてきて、ラブホに入る。
おまけに、京子はマゾで、縛られたり、つねられたりすると興奮するのだった。話だけだと面白そうだが、実際のシーンは、まったくエロっぽくないので、カットした方がよかっただろう。

伊木一郎の行きつけの床屋は、父の代かららしく、父親のことも知っていた。床屋の言うには、父親には、腹違いの娘がいて、その娘の名前は、京子というらしい。思わせぶりであるが、違うらしい。

津上明子は、姉のことをもっと知りたいというので、ラブホに連れて行き、縛られている姉の姿を見せるのであった。こちらも、話だけだと、かなりエロっぽい、シチュエーションなのだが、残念ながら、まったくエロっぽくはない。必要のないシーンとなってしまった。

見どころというと、バー鉄の槌が趣深いというところと、伊木一郎を含む三人のエロおじさんぷりが面白いということだろうか。
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