イホウジン

しあわせの隠れ場所のイホウジンのレビュー・感想・評価

しあわせの隠れ場所(2009年製作の映画)
3.2
「風と共に去りぬ」からほとんど進歩しない黒人の描かれ方

まず一つ前提として置きたいのは、今作に起こった出来事や実際に起こった出来事に対して否定する気はないという事だ。純粋な家族愛やアメリカの持つ善の部分の強調など、当然心が温まる描写はとても多く、良い映画だった。後述の批判はあくまでこの映画の構造上の問題を指摘するものであり、登場人物達の行動を否定するものではないということは始めに言っておきたい。

今作における黒人と白人の関係性の描かれ方は「風と共に去りぬ」の時代からほとんど進歩していない。どちらの作品も、両者の融和はあくまで“家族(とみなす存在)”というごくミニマルなものでしかなく、それ以上の社会のシステム上での融和とは別物である。そのこと自体は悪いことではないが、問題は白人家族の存在を主題にすることで、主人公含む黒人たちの行動の背景が不可視化されてしまうというところだ。
この今作で表現しなかった部分には、主人公がどうしてあのような境遇になったのかを知る重大な要素があったはずだ。それに敢えて主人公のように「目をつぶった」のは、このことを突き詰めてしまうと今作の白人家族のメンツが潰されるリスクがあったからではないだろうか。
中盤に言及される通り、あの家族は共和党の支持者だ。その保守性は現代のアメリカ情勢を見れば明らかである。今作を作るにあたっては、きっと「いかに黒人の生活の厳しさを描くか」と「いかに共和党支持者としての白人家族の面目を保つか」の板挟みに悩まされたことだろう。この本来相容れない2つの要素が衝突したとき、映画は妥協点を模索するようになる。その着地点の一つが「黒人コミュニティを“悪”として描く」ということだ。
実のところ中盤までは人種差別の問題についてもこの手の映画にしては珍しくちゃんと描いていたので割と良かったのだが、終盤に主人公が帰郷するパートのステレオタイプな感じが本当に残念だった。「黒人=怖い存在,不良,犯罪」という白人にとっての一方的な負のイメージが今作にも結局は通底していたということがここで露見したのである。確かにこれは相対的に主人公の“善”を強調する事になるが、今作における“悪”は様々にあるはずだ。当然そこには白人中心の社会であるアメリカの構造的な問題もあるが、今作はそれらを全部存在しないことにした。黒人に対する差別を諭す描写もありはするが、それはあくまで精神的な部分の話であり政治的社会的な差別については言及されない。それが余計に今作における「黒人コミュニティ=悪」の構図を強調させるのである。
これでは今作のような“しあわせ”を誰もが享受できる社会が訪れるはずがない。良くいえば金さえあれば何でもできるアメリカンドリームだが、悪く言えば新自由主義下の階級社会を象徴する映画とも解釈できる。
あと白人家族の父親のセクハラ発言に対して何のお咎めも入らないことも酷い。

この手の一般向け映画にイチャモンを付けることは大人気ないことなのかもしれないが、でもこういう映画こそPCに配慮しなければ社会の意識は変わらないとも思う。
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