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M★A★S★H マッシュのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

M★A★S★H マッシュ(1970年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

 アルトマンによるコンプラ真反対映画。乗り気だったのに全然のれず…。マッチョなノリが正当なものとして描いているのか、それとも批判の矛先なのか掴めず。またシーンもやや散漫。オーディオコメンタリーで監督自身さえもが、編集途中はあまりに纏まりがなかったと言うほどだ。

 「ナッシュビル」はものすごく好きなんだけど、あれは形式がある。というのも、今作製作中にその形式は発明されたようなのだ。先に述べた纏まりの無さを紡ぐためにラジオ放送が響き渡り、それがシーンの繋ぎに入れ込まれた。後天的だったためにラストのウィットなオチ以外には纏めるという意味合いしかなかったが、これを最初から方法論として組み込むことで「ナッシュビル」はよりよくなっていた。ともかく、実験的かつ撮影自体も内容同様に自由に撮影されていったようだ。時代にメスを入れるような心意気は凄い。

 しかし、自由が一番難しい。冒頭、いきなり二人の人間が同時に話すという挑戦的なやりとりから始まる。その後も取りつく島のないままにスケッチ的にできたであろうギャグを数個見せられて、前振りもないままに笑う箇所か窺ってるうちにシーンは切り替わる。映画文法に依存してきた鑑賞者を煽るには十分だが、煽られた先のメッセージさえ掴めないとなると話は別である。

 今作は戦争批判(キリスト教も”ついでに”批判)だが、結局彼ら自身が戦争を体現した悪辣な存在なのか、それとも彼らは戦争に対する自由の象徴なのか、いまいち判然としないままだった。戦争映画なのに気がつけばアメフトをしてるバカバカしさから、もはや人はそもそも愚かなんだと居直る風も感じる。仮に自由の象徴としてアメフトが位置しているならば、そこにあるルール違反は自由として許されるのか。その違反の時にやり過ぎな様はエスカレートした戦争が法もクソもなくなる様と同じではないか。ここに浮かび上がる問題というのは、真の自由は戦争状態の人々にも言えるということだ(略奪から殺人まで許されている)。また、韓国と米軍基地のある日本が舞台になっているが、そこで彼らが飲み食い自由にやって、日本では売春宿(舞子は売春婦扱い!)も利用している始末。「自由だ!」と言って他国で好き勝手する、これは戦争そのものじゃないのか。

 今作のメッセージを読み解くとするならば、公にすることが正義ということであろう。直接ものを言うことは、その内容の有無に関わらず正義とみなされる。検閲をくぐり抜け、当時ベトナム戦争真っ只中でややそれを想起させつつ、言いたいことを言えた今作はかなり挑戦的だ。しかしその中には容姿やら性差への嘲笑も含むわけで。また、放送を使ってコソコソセックスしている音声を大っ広げにしてしまうのも、やはり公にしてしまうことが正義というのに基づいた発想だと思う。だから後の更衣室崩壊からのヌードをさらけ出すことになる女性もこの理論だ。しかし、包み隠すことをこれほど忌み嫌うのはもう単に脳がウェイ系だからだろとしか思えない。アメフトできないような陰キャを無理にアメフトに出してボコボコになるような陰湿さ。そして当然マッチョな思想のもとでは女性の扱いも最悪で胸糞。よく国内外の考え方の違いを思うけれど、ある意味では無理に公に引き摺り出すのは同調圧力に近いものを感じ、日本とそこは大差ないんだなと。向こうはその力が強引で、こちらは心中お察しから端を発するとこが違うけど。

 「階級は手術室の中では関係ない」「フィールドでは平等、一等兵も大尉もない」という台詞もあるくらいには平等精神。これには同意できるがその方法論が、上記に述べたような手荒なものなのはいただけない。そういえば今作の自由の二大巨頭のうちトラッパーが、どうしてもヒゲといい低い声といい嘲笑的態度といい、フランク・ザッパに見えて仕方がなかった笑(ちょっと絡みあるのかも?)。ザッパもまた自由の国アメリカで、今まで音楽世界になることはなかったカス(褒め)みたいな歌詞をたくさん書いてる、それは平等の精神に基づいてのことだろう。そしてまた、愚かという名の下で全てを馬鹿にしており差別的発言さえ歌詞に取り込んだ。またアンディ・ウォーホルは、伝統的絵画に普遍的なスーパーの風景を入れ込んだが、それもまた平等の名の下にであろう。彼もまたファクトリーにセレブから奇人まで平等に受け入れた。これらは自由と平等の国の為せる技だなと。ただそれは時に傲慢で、それが行き着く果ての戦争大国であることを不動のものとしている。核で全てをゼロにしてしまう映画の終わり方が多いアメリカは、もしや核の下に死でもって平等が為されるという極北の考えが潜在的にあり?
 
P.S.
 アルトマン、よく今作のあとに「イメージズ」みたいなの撮れたなぁ。自由気まま故に無意識なマッチョ思想が今作にて顕在化し、以後はそれを少しずつ省みたのかもしれない。
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