otomisan

サマータイムマシン・ブルースのotomisanのレビュー・感想・評価

4.0
 未来が過去に干渉するというなら甲本瑛太が「田村」に改姓すると言い出すに至ることこそ大干渉の成果だろう。一方でパラドックスが起きないように人生最大級に頭を回転させても、逆に「ヴィダルサスーン」的になんも考えんでも、案外運命はそんなンすべて織り込み済みだったりして。
 しかし、あの世界は万年助手ホセ氏への嫌がらせのようにマルチバースの並み居る一つに過ぎないのだろう。だから、甲本と柴田がどう頑張っても田村が出来上がってしまう世界もあり得るわけだ。

 ならば、2030年、ひょいとSF研にタイムマシンが置かれてしまうというその世界はどうなっているのか。
 一番安直な筋ならホセ氏がマシンを作ってこっそり設置するのだろうが、2005年の尻軽なSF研の面々がマシンの件を黙っていられるわけがない。従って、トラベラー田村の世界は尻軽連が掻き回してしまう2005年以降に分岐したとは思えない。また研究開発に消沈状態の失われた10年期、もちろんバブルのバカ騒ぎやあるいは田中角栄、まさか大政奉還すらない世界かも知れない。
 ものは考えようで、田村のマッシュルーム頭を掻き分けたらおでこに三つ目があったりして、ジュラシック分岐点で田村は何から進化したのやら。
 この一連のことは、万年助手のホセ氏がマシンを開発するとは考えにくいという事の根っことなる。同時に甲本が田村に改姓する意味が無い可能性も高めるだろう。きっとあちらの世界にはライカとコダックしかカメラ屋がないのだ。進化の収斂による産物に笑おう。
 すると、マシン置き去り犯が2030年のあの日あの場所を決定したのは、おそらくユニバース信者ホセ氏が顧問を務めるSF研があるあそこが最適とのヨミがあっての事に違いない。つまり、ホセ氏にヤバ気な後知恵を授けられて、パラドックス即世界消滅に魂消たSF研が何をしでかすか、もちろんどこまでやっちまってくれるか映画が一本つくれるような期待でワクワクなんて、その世界にも本広克行は存在するに違いない。

 しかし、その展開はBttF的期待とはだいぶ違って、和風あじというのか四国讃岐風というのか善通寺的なのか。どえらい拾い物を彼らは一文にもせず、誰にも広めないで逆にそれを当初の珍品からエアコンのリモコンが壊れたという不運の一端として絡めとり一種の厄介者と貶め、あるいはおもちゃ扱いに弄り倒すという始末に至る。その最たる事件が「ヴィダルサスーン」と「河童さま」で、弄り倒しの結果が当人に跳ね返る一方で百年来の河童祭が郷土史を飾るという。これを受けたなら善通寺市は2030年に「タイムトラベル・コングレス」を開催しないわけにいくまい。
 なんにせよ彼らは、ホセ氏でさえ2030年を訪ねようとも思わず、時間移動とやらの仕組みに関心も疑念も持たない。そこがウミガメがタイムマシンになってしまう日本ならではなのかもしれないが、この無欲さ、疑いの無さ、ああした無能的日常の維持がおもしろくも居心地よさげとも映る事に善通寺的特徴を東京なんぞとの文化比較や五重塔に象頭山、一発屋火山もにょきにょきたる沃野の風土から導きたくなるだろう。つまり、あれは「讃岐よいとこ」ということで、おいでませ善通寺、来てみにゃ分からんぜよ、というわけである。

 ところで、熱気でフィルムも黄ばむヘロヘロ映画を通して最大の試練を経るのはあのリモコンである。2005年、コーラに溺れてホセ氏に息の根を止められるまで享年125+α歳、途中99年の休眠は古代蓮には到底及ばないが、泥に落ちても根のある奴はいつかは蓮の花と咲く筈だろうに、科学博物館から声が掛かることも無く非業の最期だなあ。
 ものづくりのあり方にもガラパゴスや担い手不足、外注化、価格競争、ものづくり大学事件が襲い製造業大国の軒が傾くのをなぞる様に最長命家電も消えてゆく。いつか、先輩英国のように製造業が産業からなくなるのかもしれない。
 それでも、やがて製造業からシフトして生き延びる発明業界からタイムマシンがコッソリ生まれて、ノーベル賞をとるよりもSF研をからかう事でイグ・ノーベル賞をとる方を目指すなら、それはそれでおもしろくも豊かな世界かも知れないが、どうもそれはホセ氏のいるこの世界の産物ではない気がする。

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 忘れていた。百年前のSF研の匂いを嗅ぎ取ったケチャ(毛茶?)の功績にはなんで報いよう。イヌ・ノーベル賞の創設を善通寺市は講ずべきであろう。
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