三四郎

さよならはダンスの後にの三四郎のレビュー・感想・評価

さよならはダンスの後に(1965年製作の映画)
1.0
社長くどいし、ヒロインはバカか?
砂浜をドライブし、さざ波にタイヤを走らせしぶきを上げる、この演出はいい。
倍賞千恵子の唱える独身主義。小栗風葉の『青春』を読了した後なので明治30年代も大正、昭和、平成と全く自立したい女性の思想は変わらないと感じた。
新幹線追いかけっこ、これって映画やドラマだから成り立つよな。実際こういった女が去り、男が追いかけ…なんてことを新幹線内でしてたら周りに迷惑だし、観てるこっちが恥ずかしい。東京オリンピック当時に新幹線開通だったから、1964年ごろの松竹映画には、宣伝かと思われるセリフ「夢の超特急」というものがあったりする。この男女の追いかけっこも、新しい文明の乗り物としてどうしてもスクリーンに映したかったんだろうな。
私は悪い女かもしれないわ/私は悪い女ですわ…
ホントにバカバカしい、まったく筋が悪い。腹立つ。物語の筋が悪すぎる納得いかぬ。社長は桑野みゆきに会って二人の結婚を認めた口ぶりではなかったか?それで、「あの男は我が社にとって重要だからくれぐれも辞めることのないように、辞表を撤回するように言ってくれ、仕事は男の命なんだ」と言い、暗に結婚相手で愛している貴女の言葉なら受け取ってくれるはずだということで、社長は言ったのではないか。
私は少なくともそう理解したぞ。にもかかわらず「私苦しいわ。貴方をダメにしてしまうわ。悪い女よ。貴方が思っているほどの女ではないわ」などと言って、去ってゆく。まあ去って行かねば映画は続かぬし、展開もしないが、全然スッキリしないし、私にはこの惑う迷うバカ女の気持ちが理解できぬ。「一生、何があっても僕について来てくれるね」と言い、「ええ」と言ったなら黙って信じてついていけよ!
すれ違いか交通事故か…何か起こった方が理解しやすい。しかしこう考えてみると文明の利器が次々に開発されて、交通手段や連絡手段が多様化され便利になるにつれて、メロドラマ、ロマンスなどは描きにくくなるな。科学が発展し映画ができ、その科学がますます発展していくと、映画はどんどん作りにくくなっていくという皮肉。
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