湯っ子

サムサッカーの湯っ子のレビュー・感想・評価

サムサッカー(2005年製作の映画)
4.3
あたたかい映画。
登場人物の描き方も、リアルで滑稽で、嫌なところもあるけど、描き手の視線は優しい。

監督が男性だし、主人公が男の子だからか。
母親は彼の成長にオロオロしながらも、いつでも彼のこと心配して、ひたすら愛してくれる存在。
父親は、彼を心配し、愛しながらも、思うように成長しないことに苛立ったり、逆に想定外の活躍や彼の才能に嫉妬したり戸惑う、そんなこころがつい漏れてしまう様子が、とてもさりげなく描かれている。
主人公の弟はまだ小学生くらい。思春期真っ盛り、しかも問題を抱えた兄に両親の興味を独占されている。自ら告白しているように、弟もそんな家族に気を使っている。家族って、こうやってバランス取るよなあ。弟はいつも冷静。でもそれは、バランスを取ってるからだけじゃなくて、まだ思春期のマグマがふつふつしてないからだろう。
余談だけど、そして誤解を恐れずに言うと、12歳くらいの男の子って、本当にかっこいい。
知的にはかなりの充実がありながらも、まだ本格的に性には目覚めていなくて、友達とアホな遊びをしたり、仲間うちにしかわからないギャグで死ぬほど笑ったり。「スタンド・バイ・ミー」的な世界は永遠の憧れだ。私の息子たちがその年代の頃、そんな様子をそばで見守ることができてとても幸せだったことを思い出す。

だいぶ話がそれました。
主人公ジャスティンがADHDと診断された時の本人と両親の反応の違いも三者三様で、これにもとてもリアルを感じた。
父親は薬での治療に嫌悪感。男性に良くある根性論的。そもそも、その診断を受け入れるのも難しい。
母親は、不安はあるけれど、息子にとって良いことなら出来ることはなんでもしてあげたい。でもこれで良いのだろうか、自信なさげ。
そして、当の本人は診断を聞いて嬉しそう。この生きづらさは自分の努力が足りないんじゃなくて、病気のせいなんだ。僕悪くないじゃん。薬を飲めば楽になるんだ、と。
大人になってから診断を受け、それによって楽になったという告白をしている人も多いのも、わかる気がする。私もボーダーラインというか、軽くそうなんじゃないかと思っているので。

結局、治療薬は彼をハイにさせて才能を表すことには成功したが、効果は長続きしない。人生はそんなに簡単じゃない。

誰しも、何かに依存している。
みんな、怯えた小動物。
大切なのは、答えなしに生きる力。

心に残る言葉が散りばめられていた。

ラスト、家族に見送られてニューヨークて飛び立つジャスティン。素敵な夢。親指を吸っている姿を見て笑ってくれた女の子。笑顔で自己紹介するジャスティン。ニューヨークを走り抜けるジャスティン。

あたたかい涙が溢れた。
好きな映画がまたひとつ増えました。
湯っ子

湯っ子