イホウジン

ねらわれた学園のイホウジンのレビュー・感想・評価

ねらわれた学園(1981年製作の映画)
3.5
確信犯的な“子供っぽさ”

今作は失笑するほどの幼稚なSFである。そのうえ形式的には薬師丸ひろ子を主演に添えた「アイドル映画」なのだから余計に惨憺たるものだ。超能力を持ってしまった女子高生が友達を守るために悪に立ち向かうというストーリーも、極端なはなし創意工夫が全く見られない。演技も棒で酷いものだ。そういう意味では、今作の評価が他の大林作品に比べて相対的に低いことにも納得がいく。

しかし、今作はそれらの陳腐さを全て確信犯的にやったものと考えたい。子供っぽさや安っぽさを意図的に“演出”として組み込む方法は他の大林作品にも見られるが、今作は単にそれが極端に誇張されたまでと解釈する方がいいだろう。「映画」を成立させる条件には果たして“凝ったストーリー”や“いい演技”は必要なのか、という大林監督の「映画」それ自体への反抗の現れとして今作を考えれば、あのオープニングの幻想的な演出や全体の混沌も腑に落ちる。
今作の基盤と監督の2016年の映画「花筐」は根底部分で通じるものがある。後者もまた(一部の)俳優の演技に極端な誇張が見受けられるし、映像の安っぽい幻想感も共通している。そして、ストーリーの中に「戦争」が絡んでくる所も両作は類似している。というよりは、「花筐」自体が今作のセルフリメイクという解釈も可能であろう。今作で効いているのは、受験戦争と本物の戦争を近い存在と考える皮肉だ。確かに巨大なシステムの下で「個」が押しつぶされるという点では受験も戦争も通底するものがあり、監督自身もその類似性の危うさをいち早く察知していたに違いない。子供じみたSFにこういったゴテゴテの社会風刺を違和感なく投入する様は流石である。

ただ、所々カメラが女性へ向ける眼差しが気持ち悪い。時代が時代だから仕方がないといえばそれまでだが、やはり少々気に懸かってしまうものがある。

あとユーミンのあの曲が今作の主題歌だったとは知らず、驚いた。
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