天馬トビオ

あこがれの天馬トビオのレビュー・感想・評価

あこがれ(1966年製作の映画)
4.0
昭和という時代を手放しで美化するつもりはさらさらなけれど、あの頃には確かにこの映画に出てくるようなおせっかいなほどに子どもに対して愛情を注ぐ教師、養父母ら、損得抜きな善人が存在していた。ドライで効率性重視の現代は、システムやインフラは整っているけれど、ルーティンワークでそれらを扱う人間の心はどうなのだろう。そして、そんな人たちに育てられる子どもたちは……。

冒頭の雨に打たれる紫陽花に始まり、用語施設の部屋、箱根の草原、レストランのテーブル、物干し台の脇など、重要なシーンの舞台には必ずと言っていいほど季節の花が咲いている。けっして前面に押し出されているわけではないものの、スクリーンの両脇にひっそりと映り込む花がこの物語に彩を添えている。

周囲全てに牙をむく野良猫のような少女が人間性を取り戻し、素直で心優しい年頃の女性に成長するまでには教師や周囲の人々との壮絶な葛藤があったのだろうが、映画はそこのところはいっさい省略している。心から笑うことのない、喜怒哀楽に乏しい無感情な成長した内藤洋子がときおり見せる微笑の裏に隠された壮絶な過去を、観客のぼくらは想像するしかできないが、微笑する内藤洋子は文句なく可愛く清純そのものだ。

そう、この映画の魅力は、内藤洋子をはじめとする登場人物たちに尽きる。養護施設の教師役の新珠三千代の無償の愛情、施設出身で思いを寄せあう青年役の田村亮のすがすがしさ、田村の養父母、加藤大介と賀原夏子の底抜けの善人さ、内藤のクソおやじ、小沢昭一が最後で見せる親心、そして、田村の実母役の乙羽信子が抑えた演技で見せる悔恨と愛情、自責の念がないまぜになった哀れな母親像。誰もが誰かに対して、何かに対してあこがれを抱いて昭和という時代に生きた名もなき善人たち……。

生みの親より育ての親、と言うけれど、子どもはたとえ自分を捨てた親であっても忘れることはできないし、憎み切ることはできない。内藤も、田村も、また……。周囲の理解があって船出した二人の将来が順風満帆なものではないだろうけれど、若い二人に全幅の信頼を寄せた、恩地日出夫監督の正統的青春純愛映画に徹した演出も見事。
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