荻昌弘の映画評論

銃弾の荻昌弘の映画評論のネタバレレビュー・内容・結末

銃弾(1943年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 「三流」のウェスタンだてんで、却って大いに期待をソソられたが、俗は俗でも凡俗とはがっかり、“まだ生きていた”リチャアド・ディクス氏、クモの巣を払っての御渡来だが、買えませんね。スのとおった七色唐辛子だ。相手がジュエン・ワイアットときちゃ、こりや予想通りイタダけませぬ。
 話は例によっての鉄道敷設の妨害もの。スケエルが小さいのは我慢するとしても、人物の設定がフラフラして皆さん腰が決まらないのは、この種活劇として一番弱る。監督やたらにワイプを使いたがり、クライマックスのカット・バックまでモタつかれるにはクサる。結局、ラストのディクス氏とヴィクタ・ジョリイ氏の組打ちが唯一つの眠気覚まし。
『映画評論 7(6)』