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ドゥ・ザ・ライト・シングのkomoのレビュー・感想・評価

ドゥ・ザ・ライト・シング(1989年製作の映画)
4.5
舞台は37℃を記録する猛暑のブルックリン。ラジオから流れるDJ・ラブダディ(サミュエル・L・ジャクソン)の声で、人々は眠りから目覚める。
ムーキー(スパイク・リー)という男は妻子があるにも関わらず定職に就こうとせず、ピザ屋のバイトで生計を立てている。
その店主であるイタリア人のサル(ダニー・アイエロ)は、近所の黒人たちにピザを食わせてきたことを誇りに思っていた。
しかし店の壁に白人スターの写真は多く飾られているが、黒人の写真が一枚もない。そのことに気づいた黒人客は、サルに苦言を呈する。それが後に事件へと発展するのであった。


【差別の芽を伸ばさずにいられるか】

近年『ブラック・クランズマン』という大作を創り上げた、スパイク・リー監督の社会派ドラマ。
ダンスとラジオからスタートする陽気なオープニングからは想像のつかない暗澹とした展開に押しつぶされそうになりました。

白人と黒人が共生する街、ブルックリン。
物語序盤では、見境なく仲良くしているとは決して言い難いものの、異人種の生活を大きく脅かすことはなく暮らしている人たち。
その中でも中立的な立場にあるのが、サルという白人が黒人相手に商売をしているピザ屋。街の黒人たちは皆、「私たちはサルのピザで大きくなった」と言います。
しかし共に店を経営するサルの息子は黒人への差別意識を持っており、「店を他へ移して白人相手の商売をしよう」と言い続けています。
その発言を諫め、黒人客に愛されていることへの誇りを語るサルですが、そんなサルも店の壁に飾るのは白人の写真のみ。
それは黒人への”攻撃”ではありませんが、”黒人を崇拝しない”というプライド意識においては、確かに一種の差別だと言えるかも知れません。
異人種に迫害された経験、あるいは異人種への劣等意識を持つ者であれば、その微妙なラインの問題をも重大に捉えることができてしまいます。
感情が表に出てくるかどうかはさておき、異なる者に対する『差別の芽』そのものは誰しもが持っているのだと思います。
その芽を伸ばさずにいられたなら良いのですが、小さな摩擦が度重なった結果を描いているのがこの映画でした。

しかしこの作品は人種問題のみならず、『自己成果』を大いに皮肉りながら、その重要性を訴えるものでもありました。
自らの努力と信念で作り上げた店を台無しにされてしまうサルと、堕落的な生活から脱しようともしていないムーキー。対照的な2人。
ムーキーの生活が安定しないのは人種による憂き目ではなく、彼自身のパーソナリティーに要因がありました。
だからこそムーキーの物語は、これからが見せ所です。

人種という生涯変えることのできないカテゴリと、言葉でなど括ることのできない思想や個性がそれぞれ別々に暴れ回る本作は、受け止めきれないカオスでもあり、最も重要な真実に向かう流線になっているようにも見えました。
人種が違えども、痛みを覚える肉体と心は同じだろう、と。

いや、けれども、スパイク・リー監督の黒人としての怒りは本当に伝わってくる。
この作品の基ともなった実際の事件をなぞる、黒人が白人警察に暴虐の限りを尽くされるシーンは苦しくてたまりませんでした。
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