YohTabata田幡庸

パラダイス・ナウのYohTabata田幡庸のレビュー・感想・評価

パラダイス・ナウ(2005年製作の映画)
3.9
学校で自主的に皆で上映会を開いている。レバノン出身のクラスメイトのチョイスで観た本作、彼がいなかったら知る由もなかっただろう。感謝。

ロマン・ガヴラス「アテナ」やマッテオ・ガローネ「Io Capitano」と共に、観てよかったが、また世界の不条理を突き付けられる系映画だった。本作はパレスティナの青年たちのイスラエルに対する思い。18年前の物凄くミニマムな話なのに、未だに意味を持っているしんどさ。寧ろ今年、その意味が圧倒的に強くなった。

冒頭から物々しい境界と兵隊を写し、パラスティナと言う場所の悪い意味での特殊性を描き出す。本作の狂言回しはフランスで生まれ育った人物だ。彼女の視点で描かれる分、我々の視点にも近く、思いの外観やすい。主人公2人は勿論アラブ形で、イスラエルでの自爆テロを試みようとするが、ヨーロッパの価値観の彼女や、我々日本人にはその価値観は理解に苦しむ。勿論彼らは自暴自棄になって自爆テロを行っている訳では決してない。そのふたつの価値観と、その間で揺れ動く人が上手く描かれている。本作の特徴として、余り目にする事のないパレスティナの人々の生活や街並みを見る事が出来るのも特徴のひとつだろう。彼等が我々と何ら変わりのない人々なのだと、改めて思い知らされた。

クライマックスから最後の展開までの凄まじさ。マイケル・ベイ「アルマゲドン」を想起したが、重さが圧倒的に違う。最後の目のショットが頭にこびりついて離れない。

貧困、政治の腐敗、男女格差、LGBTQ+、宗教等、世界には様々な問題があるが、それ等をあるひとつの価値観で断ずる事の危険性を強く感じた。その場所のその人たちには、彼等の価値観や事情があって、それは我々の常識や価値観の外にあるかも知れない。そしてそれ等は綺麗事では済まされない、根深い何かなのだ。

だが、お互いに歩み寄って解り合う事は可能だ。現に本作は、パレスティナ人監督とイスラエル人プロデューサーに寄って作られた。本作の内容は今も歴史的にも実際に起きて来た事実だ。然し同時に、本作が敵対している地域の二人の手で産み出された事も事実だ。私はそこに希望を見たし、そっちにベットしたい。
YohTabata田幡庸

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