YasujiOshiba

悲情城市のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

悲情城市(1989年製作の映画)
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Internet Archive にて英語字幕版。23-5。『返校』の背景にあるのが「白色テロ時代」だとすれば、まさにその入り口を描いたのがこの作品ということで鑑賞。

やっぱり問題意識を持ってみると違う。昔いちど見ているのだけれど、一体何を見ていたのか。九份(きゅうふん)と呼ばれる山間の町のことは目に焼き付いているし、林家の4兄弟の兄の博徒ぶりも印象に残っている。なのに「2・28事件」(1947)が描かれている部分は記憶から抜け落ちていた。一体何をみていたのやら。

でもまあ、映画というのはそういうもの。出会うときじゃないと出会えない。あのころはまだまだ意識がそこにいっていなかった。けれども、今のぼくらは「新しい戦前」へと混迷を生きているのだ。だからこそ「かつての戦後」に光を充てるべき。いやそれは、「かつて」ではなく、「今に流れ込む《かつて》」というべきもの。

ポイントは「内戦」。台北市でタバコを販売していた台湾人女性に対する暴行に端を発し、大陸から来た国民政府に対する台湾の人々の不満の爆発が1947年の「2・28事件」だとすれば、同じころ大陸では国民党と共産党が内戦状態にあった(国共内戦)。

世界史的にいえば、第二次世界大戦後、ソ連を中心とする共産主義勢力と、アメリカを中心とする資本主義勢力が、各地で繰り広げた陣取り合戦のひとつ。アジアではやがて朝鮮戦争(1950-53)、のちにはヴェトナム戦争(1955-75)へと展開。ヨーロッパではドイツの東西分断があり、ぼくが生まれるころにはベルリンの壁が立ち上がる。

イタリアだってレジスタンスによる解放の直後は、共産党勢力が有利だったのに、カトリックとアメリカによる巻き返しが図られた。その契機があの不穏なポルテッラ・デッレ・ジネストレの虐殺事件。それは奇しくも「2/28事件」と同じ1947年に起きている。

じつはヴィスコンティの『揺れる大地』(1948)の背景には、このポルテッラ・デッレ・ジネストレの虐殺事件(1947年)がある。侯孝賢の『非情城市』(1989)の背景にも、台湾において40年近く続いてきた戒厳令の解除(1987年)がある。1947年の「2/28事件」に始まり、40年近く続いてきた「白色テロ時代」の終わるとき、ようやくその始まりを映画にすることができるようになったというわけだ。

追記:
冒頭の玉音放送は、英語の字幕で見るとわかりやすくて新鮮。林家の酒店の名前は「小上海」なんだけど、その円卓のオープニングがエンディングと一致する円環構造。小津風といえば小津風といえるのかもね。

今回すごいと思ったのは、寛美(辛樹芬/シン・シューフェン)がハイハイができるようになった子供にお粥を食べさせているところに、あの知らせが届くシーン。山からの知らせを受けてるのは文清(梁朝偉/トニー・レオン)なのだけれど、その知らせの手紙を夫婦で読むところの長回しに、あのハイハイの赤子がみごとに応じて、最高の演技を見せてくれるのだ。

それは文雄の葬儀から二人の結婚式へという流れ。そこに差し込まれる寛美の兄のコミュニティが摘発されるシーンは、この映画では最後の暴力的なシーンだが、台湾の歴史ではこれから40年続くことになる暴力支配の端緒のひとつ。それをベンヤミンにならって「神話的な暴力」と呼ぶならば、その40年の暴力支配を一気に超越し、穏やかに円環的に回帰させられる「小上海」の食卓のシーンは、血生臭い支配とその法を破壊する「神的暴力」にほかならない。
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