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挑戦のdm10foreverのレビュー・感想・評価

挑戦(1963年製作の映画)
3.5
【終わりなき旅】

「記録…それはいつも儚い。一つの記録は一瞬ののちに破られる運命を自ら持っている。それでも人々は記録に挑む。限りない可能性とロマンをいつも追い続ける。それが人間なのである。次の記録を作るのは、あなたかも知れない」

凄い良い言葉に聞えるでしょ?
これ40代後半以上の方ならご存知かもしれないんですが「びっくり日本新記録」っていう日曜日の夜にやってたバラエティ番組のエンディングの決め台詞なんです。
内容自体はすっごいバカバカしい競技(水をこぼさないようにしながら平均台をどれだけ速く渡りきるか?みたいな)のオンパレードなんですが、出場者たちはみんな一様に真剣で、優勝したら「おめでとう!日本一~!!」っていうコールと綺麗な外人さんのキスを受けられるってのが恒例なんですが、なんか分かんないけど、くだらないながらもちょっと感動したりもする不思議な番組でした。

っていうことでね。
日本人って、どうしても体格的にスポーツで他国とまともに張り合うには不利って言われているんですよね。
確かに平均身長だってそんなに高くないし、外国人選手の体格や筋肉を見るたびに「どうやったらそんな動きができるの?」ってくらいにいつも驚かされる。

それでも、同じピッチ(コート、トラック、土俵、コース・・・)に立って、正々堂々と戦いを挑む日本人アスリートたち。
何度負けても決して腐らず、「いつか絶対に勝つ」と本気で信じて頑張った人たちがいたからこそ「今がある」っていう競技は沢山あるんじゃないかな。
それこそ、記憶に新しい「サッカー日本代表の大活躍」だってそうだし、ラグビー日本代表だって今は世界を相手に互角の勝負を演じるまでに強くなったし、女子テニスでは大阪なおみが世界ランク1位まで駆け上がり、大谷翔平は世界最高峰のMLBでMVPを獲得する大活躍を見せた。

確かに、どれも彼らが成し遂げた偉業であることに間違いはない。
でも、その前に道を作ってくれた先人たちがいて、後続のために道を整備してくれたり、道を照らす灯りを作ってくれたりしてくれたことを忘れてはいけない。

――この作品は1964年に開催された東京オリンピックの女子バレーボールで金メダルを目指す「ニチボ-貝塚」の過酷な練習風景をドキュメントした貴重なフィルムです。
監督は女性映像監督の草分け的存在である渋谷昶子さん。

「ニチボ-貝塚」と聞いてもピンと来ないかもしれませんが、後の「ユニチカ・フェニックス(現東レアローズ)」の前身と言えば、分かる方には分かる「超名門」の実業団チームです。
当時「鬼の大松」と恐れられた大松博文監督と、後に「東洋の魔女」と呼ばれる女子バレーボールチームの面々が東京オリンピックで金メダルを獲得することを目指して戦い抜いた「挑戦の日々」が映像として残されています。

まぁ・・・しごきます。
「今の世ならすぐに問題になるだろう」ってくらいにしごきます。
でも、彼女たちはついていきます。
厳しくて、苦しくて・・・涙、嗚咽、叫び声が体育館の至る所で聞えてきても決して止まることはありません。
何故なら、彼女たち自身が「こんなところで負けていたら世界なんて取れない」と本気で信じて頑張っているから。

昔はいい意味で「監督と選手」の間に「絶対」という関係があった気がします(・・もちろん、名ばかりのポンコツ監督もいたけどね)
でも、そこには「絶対的な上下関係」と「絶対的な信頼関係」が存在していて、この両者しか共有できない神聖不可侵なゾーンが存在したもんなのよ。
今ではそういう「鬼監督(名物コーチ)」なんて呼ばれる人は少なくなってきた気がするな。
それは時代がそうさせたのか、日本人の気質が変わってしまったのか・・・。
最近じゃ「部活の練習がキツいんじゃないんですか?」って保護者から学校に連絡が入る時代だし。

そんなこと言ったって当たり前じゃないか。
自分から「上手くなりたい」「強くなりたい」って部活に入ったんだろ?
・・っていうのはもう古いんですって。

精神論だけで上手くなる、強くなるなんてのはただの幻想かもしれない。
超人的な身体能力を持つ外国人選手を前に、体格差で劣る日本人は初っ端から恐怖を感じる。
でもそこで引いたら「負け確定」なんですね。
安西先生も言ってたじゃないか「諦めたら、そこで試合終了ですよ」って。
体格で勝てないなら「技術」で勝負すればいい。
そして、その目に見えない技術を支えるのは、目を瞑っても同じことが完璧にできるくらいに繰り返し練習してきたという自信に他ならない。

「自身を支える自信」

これこそが圧倒的に不利な状況に追い込まれた日本人が、そこから這い上がって逆転で勝利を手にする最大の武器。
練習でできない事が試合でできる訳がない。
だからひたすら練習する。
何も考えなくても「このシチュエーションになれば・・・」と体が勝手に反応するまでひたすら練習する。
そして、それが更なる自信に繋がっていく。

今の子供達がとりわけ弱くなったというわけでもないと思うんです。
裏を返せば大人たちが面倒を嫌うようになったってことなのかもしれない。

それは「責任」という面倒。

子供に対して「責任」を持って接する大人がどんどん減っている。
自分の言ったこと、教えたこと、叩いたこと。
全ての事柄にきちんと「意味」と「想い」と「愛情」を持って接する大人はもはや絶滅危惧種なのか・・・。

この作品が1964年のカンヌ映画祭短編映画部門でグランプリを獲得できたのは、何も「大松監督と選手たちが奇跡的な金メダルを獲得したから」というエクスキューズに対してではないと思うんですね。
むしろ、この作品の中で描かれる「日本人特有の勤勉さ」や「異常なまでの規律」「ストイックさ」という部分が、時代を超越した「日本人の精神性」というものに対する評価だったんだろうね。
当時の欧米人からすれば若干エキセントリックにも映ったかもしれないけど、でも「慎ましく、それでいて芯が強い」という当時の選手たちをみると、それはそれで「古き善き日本人」のよさを垣間見たような気もした。

いわゆる「社員選手」として働く彼女たちの日常が想像以上に過酷であったという現実と、それでも目標に向かって邁進する姿は、もしかしたら今の時代には合っていないのかもしれないけど、だからこそそういう環境を経て世界への道を作ってくれた先人たちがいたという事は知っておくべきだと思う。
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