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ピーター・グリーナウェイの枕草子のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

4.5
【書を読むロマンは時を超える】
清少納言の「枕草子」をピーター・グリーナウェイが映画化した珍品。外国人監督が日本の文学を忠実に映画化した作品かと思いきや全く異なる代物であった。蓋を開ければMAD動画であった。それも、ニコニコ動画やYouTubeにあるMAD動画は数分間に疾風怒濤、情報を詰め込むものが多いが、こちらはスローペースで2時間以上かけて情報を詰め込むのだ。

顔に名を書き込むシーンがあったかと思いきや、現代パートに移りファッションショーが展開される。かと思えば、20世紀前半であろう活版印刷の情景が広がる。

枕草子は日本語、英語、中国語で読み上げられ、中盤にはフランス語でカラオケが展開されるのだ。画も、一つの画の中に様々な形の画が挿入される。右上に小さな四角のオブジェクトを配置するが、それが小さすぎて何が映っているのか分からなかったりもする。

そして、「枕草子」を章仕立てで語る。イメージ映像のようなものが短いコントとして畳み込まれ、街中を裸で走り回る様子を持って不能を表現したりするのだ。

これは金のかかったMAD動画に過ぎないのか?ピーター・グリーナウェイが欲望に任せて映像で遊んだに過ぎないのか?よくよくみると、書物に対する洞察力の深さが感じ取れる。

読書とは仮想世界である。紙に文字が書かれているだけの存在。その文字を読み込み、イメージすることで情景が広がる。当時の思考の風が冷凍されており、それを解凍することで時空を飛び越えることができるのだ。

序盤の、幾重にも重なる画は、読書することで脳裏に浮かび上がるヴィジョンであろう。そして清少納言と自分の人生を重ね合わせて融合していく情景の表象といえる。そして、日本語で書かれたものが海外へ伝わるロマンが英語や中国語、フランス語への伝播に繋がっているといえる。

主人公の女性は枕草子に感化されたのか、肉体に枕草子の物語を書くことに取り憑かれていく。自らの肉体に飽き足らず、男の肉体に刻み込むことで生を焼き付けようとする。文字を書くことは、自分の生きた証を後世に伝えることだ。名もなき者として歴史から抹消されることへの足掻きともいえる。清少納言が時空を超えて、主人公・清原諾子に他愛もないことを伝える。中国人と日本人の間に生まれ、アイデンティティに揺らぎを感じる諾子は書く事で自分のアイデンティティの形を掴もうとするのである。

難解で奇妙な作品であるが、これは刺さる人には刺さる大傑作といえよう。
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