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エル・スールのAPlaceInTheSunのレビュー・感想・評価

エル・スール(1982年製作の映画)
5.0

ビクトル・エリセの、実に31年ぶりの新作長編映画『瞳をとじて』公開記念でのリバイバル上映。

[あらすじ]
「ミツバチのささやき」のビクトル・エリセ監督が、同作から10年を経た1983年に発表した長編監督第2作。イタリアの名優オメロ・アントヌッティを迎え、少女の目を通して暗いスペインの歴史を描いた。1957年、ある秋の日の朝、枕の下に父アグスティンの振り子を見つけた15歳の少女エストレリャは、父がもう帰ってこないことを予感する。そこから少女は父と一緒に過ごした日々を、内戦にとらわれたスペインや、南の街から北の地へと引っ越した家族など過去を回想する。

[感想(とりあえずメモ)]
エストレーリャが、父が居なくなったと知るファーストカット。夜の暗がりから、薄っすらと朝陽が窓から差しエストレーリャを照らす、それをカメラがゆっくりとパーンしながら映し出す。
自然光を用いた光と闇のコントラストが冴えわたる。

暗闇⇔光  
聖なる力⇔俗的な欲望・性愛
今、住んでいる北の地⇔どこかにある「南」の地

のコントラストが全てエストレーリャにとっての父を眼差すイメージと重なってくる。
【南の街には、父が祖父と喧嘩し戻らないと決めた袂別した街】
【南の街には、父が思いを寄せる女の人が住む街】
少女/大人の女性(その間に初聖体拝受の儀式が置かれる)

良く、映画は何を見せるか、と同じ位かそれ以上に「何を見せないか」が重要だと言われる
「南の街」は一度も、映されない。
そこは、祖父との決別の地、そこは父が密かに思いを寄せる女性がいる街、そこは暖かい祖母と父の乳母のいる街。

外の世界とエストレーリャと父親が住む家の境目には、両端に木が生い茂る並木道があり。度々、映し出される並木道が外の世界⇔安住の地である家の媒介であることが視覚的に巧みに示される。



街で父と遭遇するシーンが非常に印象的に描かれる。
一回目は、父がイレーネ・リオスの出演する映画を観たのを偶然見つけたとき。その時は、父が家では見せない表情をみせ戸惑うものの、まだ幼いエストレーリャは理解できずにカフェで手紙を書く父に話しかける。

もう一回は、エストレーリャが成長してから。(高校生?)
映画館から出てきた父親がタバコに火を付ける姿が物悲しくて、(何かしらの色気をエストレーリャは受け取っていたのかも)、話しかけられずに隠れる。

そして、父親がエストレーリャをレストランに誘ってご飯を食べるシーン!名シーン。
横では 和やかにおめでたい祝賀。華やかな音楽と笑い声。
対して、こちらは、部屋の隅に二人でぽつんとご飯。不意に娘は父親に聞くのだ。
イレーネ・リオスの事を!!
父が、はぐらかしていると、あの曲がかかる!初聖体拝受の時に、無邪気に父娘で踊ったあの曲!!

その後は、、銃で自らの生命を、、、、

エストレーリャが病気になり、物語が暗いトーンで終わるかと思いきや、父の乳母の強い勧めでエストレーリャは「南」へ。
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