ノリオ

漫才ギャングのノリオのレビュー・感想・評価

漫才ギャング(2010年製作の映画)
1.0
打ち合わせの帰り、渋谷で『somewhere』を観ようと調べてみたら新宿でしかやっておらずたまたま近くやってた『漫才ギャング』を観ることに・・・(いや、ソフィア・コッポラの映画ってシネマライズでやっている印象が強かったもんで)


品川庄司のネタはある一定のクオリティはあるけれど、お笑い史を変えるほどの革新的なものでもない。
品川祐があらゆる漫才師を研究し構築した、いい言い方をすればサンプリング漫才なんだと思う。

品川庄司がM-1で4位になれたのは、サンプリング漫才に相当な練習量をブッこんだ結果であって、逆にそれがなければ決してオリジナリティを獲得はできなかったはずである。


今作にもそのサンプリングの傾向はあり、どこかで見たことがあるようなシーン、もっと言うと雰囲気が満載なのだが、それらに一貫性がないためシーンの非連続性から生じる不協和音が作品全体に充満している。

それ故に137分という長尺が、実数以上に長く感じられる。

さらに芸人俳優たちの芸人然とした立ち振る舞いが作品のフィクショナルな部分を途端にバラエティ的なものに変容させてしまう。


芸人が芸人の映画を撮るということに少なからずトキメキを感じたのだが、この作品に芸人の葛藤や挫折、また芸人やTVの世界の裏側はまったくと言っていいほど描かれていない。

そればかりか、肝であるはずの”おもしろい漫才”が練習量の少ない品川庄司の漫才となっており、そのクオリティはやはり本家にも劣るのである。

前作「ドロップ」に引き続き今作も自伝的作品らしいのだが、自分の役を成宮寛貴に演じさせるくらいなのだから、曝け出してないのだと思う。

品川庄司というコンビのありままを素直に物語にするだけでおそらくとんでもない傑作が生まれたと思う。

自らのルックスを補完するためだけに選んだ相方、サンプリング漫才、一時期の成功(早い段階での冠番組)、挫折、後輩たちの追い上げ、焦燥。

漫才ギャングにこのすべてを求めてはいなかったけれど、やっぱりこれらのエッセンスは求めていただけにとても残念だが、それが出来ないのがおそらく品川祐の本質であって、それ故に「ドロップ」におけるかりそめの成功を手に出来たのだと思う。

なのでこの映画はヤンキーが漫才をする話ではなくて、漫才もするヤンキー映画という認識ならまだ少しは楽しめるかもしれない。いや無理か。
ノリオ

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