園子温はとてもピュアな人だと思う。
悪い言い方をすれば幼稚。
元々詩人から出発した人なので、そうした「幼児性」が重要な資質なのはわかるが、今回は「表現者として震災というテーマを無視するわけにはいかない」という使命感が先走りすぎて空回りしてる。
普段の作品ではエログロを存分にまとっているのでさほど気にならないが、今作のように照れもなく、むきだしでその「ピュアさ」を出してこられるとやはり引いてしまう。
更に悪いことに、ドキュメンタリーではなく、劇映画であることが、それに拍車をかけている。
震災や原発の問題を寓話というフィクションの中に押し込めてしまったことで、かえって観客は「今現実に起こってることは全部ウソなんだ」という、園監督の想いとは真逆のメッセージを受け取ってしまうことになる。
これじゃ被災者には絶対に届かないし、自分達の現状を無視されたような気がして逆に怒ると思う。
どうしても震災をテーマに撮りたいのなら、その熱い想いだけを持って現地に赴き、ただカメラを回せばよかった。
もしくは、表層はまったく違うもののように見せておいて、その裏にメタファーとして潜ませるか。
園監督に向いてるのはたぶん後者だと思う。