デニロ

友情のデニロのレビュー・感想・評価

友情(1975年製作の映画)
4.0
1975年製作公開。脚本監督宮崎晃。松竹八十年記念映画。

18代中村勘三郎がにやけた顔をしていた勘九郎時代に出演した作品。彼が大学からアパートに戻ってくるとそこには松坂慶子がいる。姉ちゃんか、と微笑ましく思って観ていると布団を敷きながら妖しい雰囲気になってきて、何だ同棲時代か。けっ。

自分を鍛え直したい云々で夏休みの間ダム工事現場で働くことにする勘九郎。その現場で出会うのが工事現場を流れ流れ歩いている渥美清。妙に懐っこい渥美清の前にいると気が楽になることに気付いたりして、自分のグジグジした思いがそんな大層なものでもないことに気付いて気恥ずかしくなる。若者が自ら掘ってしまう陥穽です。

自分探しをしている勘九郎の話なのかと思わせておいて終盤は渥美清の過去とのたすき掛け。渥美清は瀬戸内の島に妻子を置いて出奔していたということが分かる。その事情は明白ではないが、勘九郎が自分自身を省みた不安感とそう違いはないだろう。少しの期間仕送りもしていたようなのだが望郷の念に駆られてその島に立ち寄りたい、ついては勘九郎付き合ってくれないか。が、島への出航直前渥美清は翻意する。ひとりで島に行くことになった二十歳の勘九郎にはよく分からぬ人間模様が織りなされていた。

そして1日遅れて渥美清が屈託のない様で島に現れる。/俺んちに来い。遠慮するなよ。/行かない方がいい。/勘九郎は諫めるのだが、勘九郎の切羽詰まった気配を知ってか知らずか家の敷居を跨いだ渥美清の見たものは。

松坂慶子の叔父有島一が、姪を思う気持ちから勘九郎の曖昧な愛に注文を付ける役割で、それはこの際どうでもいいのだが、有島一郎と松坂慶子といえばテレビドラマで共演し、勤務先の課長と部下の事務員という配役の中、わたしの処女を課長にあげますなどと松坂慶子に言わせていた、あれは何というドラマだったか。それとも幻か、ド勘違いか。

さて、勘九郎はその松坂慶子との将来を確かなものにしようと意を決したように見えたのだが、はて。若いときに流さなかった汗は、老いてから涙となって返ってくる。そんな言葉を思い出しただろうか。

神保町シアター 俳優・渥美清――「寅さん」だけじゃない映画人生 にて
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