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2001年宇宙の旅のkaneのレビュー・感想・評価

2001年宇宙の旅(1968年製作の映画)
3.4
厄介な映画を観てしまった。
どうやって書けばいいやら…。

人間はどこまで進化出来るのだろうか。
はるか遠い昔、人類の先祖は知能を得た。それは奇跡的なこと出会ったのか、反対に何者かによって必然的に起こったことなのか。両者は真逆のことのようで実は同じことを言っている。視点を変えた言い換えにすぎない。
知能発生の発端が作中のモノリスである。そして、知は猿に骨という道具を与え、現在では科学というものに昇華されている。骨が宇宙船に変わる演出シビれる…‼︎

知の発展を求め続けた時、朽ちていく人間の身体は不便なものになっていく。そのため、人間は最終的に機械の身体を求めるのではないか。いや、それだけじゃない。知の根幹と考えられている脳みそさえ、作ることは不可能ではなくなるだろう。脳で行われている電子の運動を再現することさえできれば人工的な脳を作ることはできるだろう。
だとすると、そこに精神と言われるものは宿るのか?普段私たちが感情と呼ぶものをロボットは持てるのか?
答えは意外と簡単で、感情があると言い切ってしまっても良い。
そんなわけがないという否定の声があると思う。では、そのような人に問う。
今作で登場する人工知能ハルに感情を見出さなかった?
概ねの人はハルの死を悲劇に感じたと思う。それはなぜだろう。それはハルの言動や振る舞いが感情的に見えたからである。ハル自身それらは人間の模倣だと断言しているのに。

感情があるかないかは、それそのものではなくそれを受ける方に依存している。
だから、少女がくまのぬいぐるみに感情があると思えば、少女にとっては感情のあるぬいぐるみなのである。
人間も一緒で、友人に感情があるか否かは自分が判断次第だ。ぬいぐるみと人間の差は、行動や振る舞いが高度かそうではないかの差でしかない。

この作品は、人間が知を持って発展していった先にどのような未来が待っているのかという緻密な予想図だと僕は思っている。作中の中で投げられているのは上記したような哲学的な問題だろう。そこまではとても楽しめた。
しかし、ラスト30分で宇宙船さながら物凄い速さでキューブリックが飛んで行ってしまった。それまでのストーリーで描かれていたのは、今ある世界を前提にした問題だったがそこからは違う。
モノリスに吸い込まれた途端に世界外の話になる。私たちがどんだけ考えても是非を問えない範囲での話になってしまう。
つまり、なんでもあり。どんなに好き勝手に論理を展開させようとも成立してしまう妄想にすぎない。5分前に世界が誕生した、と言っているのと同じようなもの。もし、キューブリックなりの根拠があるのならばそれは絶対に省いてしまってはダメだと思う。逆に神的存在を裏付けることにはなっているのかもしれないが…。

映像や演出はもちろん終盤に入るまでの物語はとても楽しめただけに、落とし所には落胆させられたが、何だかすごいものを見せられたのは紛れもない事実だろう。
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