浅野忠信さんの無表情や笑顔の演技が「戦場のメリークリスマス」のビートに似ている気がしました。平和を願う、悲惨さを世界中の人に伝えたい、という高尚な目的ではなく、一種のバックパッカーの様な軽さを持つキャラクター造形にリアルさを感じ、そのころの血気盛んな戦場カメラマンの中にはこういう人たちがいたんだろうなと思いました。実在の泰造さんがこのような人だったかはわかりませんが。
なぜアンコールワットを目指すのか、普段しょうもない写真はバンバン撮るのに死体にはカメラを向けないのはなぜか、もう少し深掘りして欲しかった。それは彼の写真を見ればわかるのかもしれないので、また本を探してみます。クメール・ルージュ下のカンボジアについて、もう少しいろいろ見てみます。
アンコールワットに行ってみたくなりましたし、行きます。
wiki 「米軍キャンプPXの写真屋で1年間働き資金を貯め、インド・パキスタン戦争へ向かう。」
そこまでしてカメラマンをする信念をもっと知りたくなる。
wiki「カンボジア入国以後、クメール・ルージュの支配下に有ったアンコール・ワットへの単独での一番乗りを目指しており、」
戦場カメラマンという ”真面目さ” とエベレスト登頂みたいな冒険家のような "不真面目さ" の混在がこの人の魅力なのだろうか。
wiki「両親は、泰造が残した写真を焼き続け写真集の発刊に力を尽くした。」
泣けますね。写真集、見てみますね。