ケーティー

用心棒のケーティーのレビュー・感想・評価

用心棒(1961年製作の映画)
4.1
時代劇への徹底的なアンチテーゼ


本作は、華麗な集団の殺陣、圧倒的なヒーロー、ヒロインの存在等々、そうした歌舞伎由来の伝統的な時代劇の型を徹底的に否定し、ある種その逆を行くことで、真実に迫ろうとしたのだろう。特に、初めにケンカだといって、二つの組が相見えるが、怖じ気づいていっこうにどちらも動かないなど、実に人間らしくていい。たしかに、実際の戦は歌舞伎の型のように、皆が決められた位置を華麗にこなしたはずがなく、本作のように時に怖じ気づき、いざ戦になっても本物はもっと不格好だったのだろう。そうした点、ある意味、リアリズム的な視点に注目し、それをコント的な、娯楽的な面白さへと昇華させるのがうまいのだ。

また、最後まで正義なのかどうかわからない主人公のニヒルな魅力はいいし、その緊迫感(映画を観る私たちもこの人を信じていいかわからない)が、先の展開への興味をつねに引っ張る。そして、何よりもラストの描写が、ワンシーンで主人公の生きざまを表していて見事だ。

また、それぞれの登場人物の人物造形と作品の上での役割設定もポイントを押さえつつ、無駄なく的確。特に、暴れん坊だか頭の足りない亥之吉やかんぬきは、時にコメディリリーフ的な役回りをしながら、作品の展開をあらぬ方向へもっていく重要な役割を果たしている。また、権爺の造形もうまく、偏屈で頑固ゆえ、他の者と関わりがなく、主人公の秘密を守れるし、終盤では重要な役割を果たす。このあたり、人物に濃い味をつけながらも、話の筋を進める上で便利になるよううまく設定している。こういううまさが、至るところにあるのだ。

また、黒澤監督作品ではいつものことだが、お囃子の音楽の使い方、ラストの団扇太鼓など、演出と音楽を組み合わせ、うまく作品のアクセントやハイライトで使っている。