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用心棒のkuuのレビュー・感想・評価

用心棒(1961年製作の映画)
3.9
『用心棒』三十郎
製作年 1961年。上映時間 110分。
時代劇に西部劇の要素を取り入れた痛快娯楽活劇。
ピストルにマフラーのニヒルな殺し屋を演じた新鋭・仲代達矢の存在感が光る。
64年にはセルジオ・レオーネ監督が本作をもとにマカロニウエスタン『荒野の用心棒』を作り、大ヒットしたが、しかし、レオーネは著作権のあるこの作品のリメイクを正式に許可しなかったため、黒澤明は彼を訴え、公開を3年遅らせた。
レオーネは、彼にまとまった額と利益の15%を支払ったそうです。
興味深いことに、黒澤自身は、どちらの出典も公式にクレジットすることなく、ダシール・ハメットの小説を映画化した『ガラスの鍵』(1942年)を基にしたと述べている。
しかし、様々な評論家やハメットの作品の読者は、『用心棒』の全体的なプロットはハメットの『血の収穫』(1929年)に近く、『ガラスの鍵』にはないと指摘している。

二組のやくざが対立するさびれた宿場町。
そこへ一人の浪人者がふらりと流れ着く。
男はやがて巧みな策略で双方を戦わせ、最後には自らの刀を抜きやくざたちを倒す。
町の平和を取り戻した彼は、またいずこへとも知れず去ってい。。。

先に書きましたダシール・ハメットは、二つの無関係な小説を書いた。
『ガラスの鍵』(既読)は、アルコール依存のギャンブラー、ネッド・ボーモントが、二枚舌を使って、汚職政治家のために殺人容疑をかけられたギャングのボスを助ける(同時にライバルのギャングをかわす)話で、また、『血の収穫』(既読)では、名もなき私立探偵(アルコール依存症であることはハメットのヒーローに共通するし、今作品の主人公が名をと聞かれた際に桑畑三十郎と名乗るが、これは町のそばの桑畑を見ながら偽名を作ったように見受けられる。このように、今作品のキャラもなた名もなき男と云えるし、邦画の初期の例として見ることができる。)が、2つの密輸マフィアが争う小さな町の浄化を依頼されます。
『血の収穫』の映画化は見たこともない。
『ガラスの鍵』は1935年に初めて映画化され、あまり成功しなかったそうで、そちらの映画化は見てない。
その後1942年に再製作されました。
ここで気になるのはリメイク版で、スチュアート・ハイズラー監督は、30年代の典型的な犯罪映画の活気と、当時発展しつつあった『ノワール』ジャンルの陰影を組み合わせたスタイルで、実際にはかなり善き映画で、その時代にしてはいろいろな意味で大胆な作品やと個人的には思てます。
小説に忠実に、登場する誰もが何らかの形で腐敗しており、特に魅力的なのは、ウィリアム・ベンディックスが、あからさまに同性愛者のサディストというチンピラの脇役で登場していることである。
アラン・ラッドが演じるネッド・ボーモントは、冷徹で計算高く、自分以外の倫理に忠実な真のアンチヒーロー。
このタイプのキャラは、その強い倫理観が、当時流行していたこのタイプの社会病質に対するあらゆる思い込みを覆すため、当時のハリウッドが表現に困っていた。
この映画は、小説の倫理的問題を完全に裏切る。しかし、それまでは、映画はその暗い "who-dun-it "(フーダニットとは、誰が犯罪を犯したのかという謎に焦点を当てた、複雑な筋書きのある推理小説を指す。読者や視聴者には、『犯人の正体を推理するための手がかりが与えられ、物語のクライマックスでその正体が明らかになる』といった展開が描かれることが多い)の暴露に向かって、急速に、緊張感いっぱいに進んでいく。
ボーモンが敵対するマフィアのボスに捕まり、サディストのチンピラに拷問されるシーンが『ガラスの鍵』の中心にあるが(これは小説から)、拷問するチンピラ(ベンディックス)の同性愛(これも小説には暗示されている)によりフロイト的含意が満ちている。
日本映画の専門家ドナルド・リッチーのコラムやったと思うけど、黒澤明がハメットの小説を基にした映画を作らなければと思うほど、このシーンに魅了されたという逸話を紹介してたのを覚えている。
しかし、面白いことに、彼は『ガラスの鍵』のリメイクをしたわけではない。
その代わり、『レッドハーベスト』を1860年代の内戦下の日本に置き換え、名もなき私立探偵を、同じく名もなき浪人(三国連太郎が絶妙の演技で演じる)におき換え、同時に、当時、日本で人気あった典型的なチャンバラ(剣戟映画)をパロディー化した。
ただ、『ガラスの鍵』の拷問シーンから黒澤は、フロイト的なサブテキストを完全に排除し、拷問はハンナ・アーレントが悪の『平凡さ』と呼んだものの研究になる拷問者はただ仕事をこなしているだけなのだとしてる。
これは、この映画に暗示されている資本主義批判とうまく合致しており、ハメットの原作にも同様に暗示されているので、フロイト的内容の喪失は気づかれることなく過ぎていく。
一方、黒澤と三船は、ハメットの緊張感に満ちた原作に欠けているが、今作品には名もなきヒーローに土臭さを加えているし、個人的にはこちらが好きですが、好き嫌いは完全に好みにはなるやろし、佳し悪しはつけれない。
三船の侍は、いつも引っ掻いたり、食べたり、ひがんだり、嘲笑したりしている。
おそらくこれは、ハメットのアンチヒーローの最大の弱点であったアルコール依存症の要素が削られたことを補うためなんかな。
しかし、それはまた、ハメットのアンチ・ヒーローにはない、キャラを丸くし人間的な存在にする効果もある。
また、今作品は嘘と疑心暗鬼、寝返り、悪戯、脅迫、そして巧みな戦いが繰り広げられる緊迫した物語でした。
おっちょこちょいで無神経に見える侍が、実は平和主義で善良な男である。
黒澤さんは、西部劇やノワールの影響を受けながら、非常にエキサイティングで視覚的に印象的な映画を作りいまでも色褪せない。
もちろん、日本の文化や伝統に関わる重要な場面もおろそかにしていない。
クローズアップされた主人公たちの顔には、悪、傲慢、恐怖、無敵感、侮蔑がほぼ完璧に映し出されてるし、悪役も多数登場するが、そのキャラは実に多彩です。
また、三船演じる桑畑三十郎を支えるのが、仲代達矢が演じる新田の卯之助が光ってる。
野性的で横暴な鉄砲玉で、侍にとって最大の脅威で三十郎とは全く違うキャラ面白い。
新田の丑寅演じる山茶花究と馬目の清兵衛演じる河津清三郎はなかなか決め手に欠ける。
山田五十鈴のおりんは、清兵衛の妻で、対立の発端は彼女かもしれない。
新田の亥之吉演じる加東大介は、"ビジュアル的"に一番印象に残るキャラでした。
凶悪な殺人を犯す一方で、とんでもないバカをやってのけるキャラとして。
黒澤は、いくつかのスタイルを組み合わせて仕上げた今作品は、善き作品でした。
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