YohTabata田幡庸

用心棒のYohTabata田幡庸のレビュー・感想・評価

用心棒(1961年製作の映画)
4.1
黒澤好きのスペイン人ルームメイトとスウェーデンにて鑑賞。

毎度、黒澤作品を観て思うのは、キャラクター作りが本当に上手い、と言う事。登場人物が多く、名前を覚え切れるとは言えないが、ひとりひとりのキャラクターがしっかりたっていて、誰が誰だか一目で覚えられる。然し、それは過剰ではなく、あり得る範囲で、しかも記号的、図式的過ぎない。

アクション映画を期待して観ていた分、策略物で肩透かしを食らった気もするが、それも黒澤明の力技で捩じ伏せられて行く。具体的にはショットのひとつひとつの絵力の強さと役者の演技だ。特に本作は、ほぼほぼワンシチュエーションな分、日本映画界を代表するおじさんたちの演技合戦が見物だった。

現代の「知的な駆け引きモノ」程策略ギミックのオンパレードになり過ぎず、そこはキャラクターのドライヴ感でみせて行くのも、鼻につかないポイントだろう。ふたつの敵対勢力のいがみ合いの振り子を、三船敏郎演じる三十郎が振っていく。と言うより、自身が振り子となって、不毛ないがみ合いを最大限大きくし、両者を破滅に追い込む。

黒澤の最高傑作だとは思わないが、後の作品に与えた影響を考えると、舐められる作品ではない。街に三十郎がたどり着くシーンは最早映画史に残る名シーンで、映画好きを名乗っている以上は観た事がなければモグリと言っても過言ではない。現に「スター・ウォーズ」のスピンオフドラマをはじめ、至る所でオマージュが見られる。
日本映画で言えば、ふたつのヤクザと振り子を振る狂言回しと言う意味で、北野武の「アウトレイジ」がモロに同じ構図だ。三十郎の、肩をクイとやる仕草はビートたけしが真似をしている。流石にそれは違うか。
ここまで離れずとも、セルジオ・レオーネ監督「荒野の用心棒」の元は本作である。

黒澤は、その撮影技法や演出力、時代劇の換骨奪胎などが多く語られがちだ。然し彼が必ずと言って良い程傍に、またはモブに配する庶民こそ、黒澤印のひとつだと思う。彼は庶民やモブに、当時の、そして今に通じる日本人像を見出している様に思う。それは丁度ひとまわり年下の漫画家・水木しげるの描く日本人像にも近い。水木の日本人像は「ゲゲゲの鬼太郎」のネズミ男だ。不潔で、怠惰で、貧しくて、長い物には巻かれる。黒澤の描く庶民にも近しい何かを感じる。無様で、狡猾で、必死で、品がなく、とにかく愚かだ。私が本作で一番強烈に覚えているシーンは中盤の小平とおぬいのくだりだ。あのシーンは、黒澤のフィルモグラフィーに一貫する庶民観、人間観、日本人観が凝縮したシーンだと思う。
YohTabata田幡庸

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