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コンボイのCinemanのレビュー・感想・評価

コンボイ(1978年製作の映画)
3.0
『コンボイ』
サム・ペキンパー監督
1978年公開アメリカ
鑑賞日:2023年2月26日 U-next

サム・ペキンパー監督はハリウッドでは扱いにくい監督として有名で人気もはかばかしくない。アメリカで興行的に成功したペキンパー作品はスティーブ・マックィーンとアリ・マッグローが共演した『ゲッタウェイ』だけだ。
それに比べ日本ではペキンパー監督の評価も人気も高く、
アメリカではペキンパー作品中最悪の出来だと言われて興行的にも失敗した『コンボイ』が日本ではヒットしています。
主演はシンガーソング・ライターのクリス・クリストファーソン。
クリストファーソンは『ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯』(1973)、『ガルシアの首』(1974)に続いてペキンパー作品三作目になります。

【Story】
アリゾナ砂漠のハイウェイを疾走する一台の超重量トラック。
ラバー・ダック(クリス・クリストファーソン)が運転するそのトラックを一台のジャガーが追い越していく。
ジャガーの運転手はメリッサ(アリ・マッグロー)。
警笛を鳴らして追い越そうとするラバー・ダックをはばむメリッサ。
車高の高いトラックの運転台からラバー・ダックが見下ろすとカメラを取り出し運転しながら楽しそうにラバー・ダックの写真を撮り始めるメリッサ。

狭い道路を二人はじぐざぐ運転でじゃれ合っていると対向車線を走ってきたパトカーが彼等を避けてすんでのところで転倒しそうになる。
スピード違反でパトカーに捕まってしまったがラバー・ダックの機転で罰金を逃れた。
CB無線で「お〜い誰か聞いていたら応答してくれ」とラバー・ダックが呼びかけるとすぐに応答したのがビッグ・ベン(バート・ヤング)、続いてマイク(フランクリン・アジャイ)。
初対面の二人のトラッカーは発信者が伝説のトラッカー、ラバー・ダックだと分かると冗談を言い合いながら和気あいあいと走っているとその無線にトラッカーたちの敵保安官ライル(アーネスト・ボーグナイン)が割り込んできた。

ライルの速度探知機に捉えられた3人は罰金をとられてしまう。
さきほどラバー・ダックにからんだパトカーの警官はライルの指示で走っていた覆面パトカーだったのだ。

3人は溜り場のレストランでランチタイム。
店の奥にはダックとせり合ったメリッサ(アリ・マックグロー)がジャガーのタンク漏れで動かなくなってしまいぽつんとすわっていた。

そこへライルの覆面パトカーがやって来る。
ピッグ・ペンがライルをからかったためにライルとトラッカーたちの乱闘がはじまる。

ライルと警官たちをとっちめたトラッカーたちはライルの復讐を逃れるためにダックをリーダーにコンボイ(トラック軍団)を組んで州境へと出発する。メリッサもダックのトラックに同乗する。
必死に追跡するライルから逃れコンボイは無事州境を抜けてニューメキシコに入る。

そこにはCB無線で今までの経緯を聞いていたトラッカーたちがコンボイに加わろうと待ちうけていて参加者はどんどん増ていった。

その騒ぎを聞きつけたマスコミが騒ぎ始めてコメントをとりにコンボイに並走したり選挙を控えた知事は大衆に人気のあるコンボイたちの味方をし票かせぎに動き始める。
もはや一般市民まで巻き込んでお祭り騒ぎとなってしまったのだが・・・

【Trivia & Topics】
*本作品はアメリカのトラック運転手を題材にしたカントリー・ウエスタンのノベルティ・ソング「コンボイ」を元に製作されています。

*アメリカのトラック野郎。
アメリカでは評価も低く興行的にも惨敗したこの作品が日本でヒットした原因の一つは当時大ヒットしていた文太兄いの“トラック野郎シリーズ”の影響だとも言われています。

“トラック野郎シリーズ”は東映の鈴木則文監督が低迷している実録ヤクザ路線から脱皮して新機軸として企画を提出したところ岡田社長から「バカヤロー! トラックの運ちゃんの映画なんて誰が見るんだ!」と一喝され、
一度は挫折しましたが当初予定されていた作品が中止されたため岡田社長から「それでいいから作れ」と穴埋めとして製作され大ヒットしてドル箱シリーズとなりました。

日本で『コンボイ』が公開された(1978年6月10日)頃に公開されたのは『トラック野郎 男一匹桃次郎』(1977年12月24日公開 78年邦画配収第5位)『トラック野郎 突撃一番星』(1978年8月12日公開 78年邦画配収第10位)です。

*ラバー・ダックのトラックRS700L。
半端じゃないので車フェチ、プラモ・フェチ以外の方もじっくりご覧あれ。
http://stzip.web5.jp/mack.htm

*ジェームス・コバーン。
本作品の第2監督はジェームス・コバーンです。
コバーンとペキンパーは1960年~61年にかけて放送されたNBCのドラマ 「Klondike」で知り合ったのだと思います。
日本では1960年10月27日〜61年1月26日に放映されました。

邦題「風雲クロンダイク」はゴールドラッシュに沸く19世紀末のアラスカ州クロンダイクを舞台に黄金に群がる男たちの野望と冒険を描いた30分の西部劇シリーズ。当時ドン・シーゲル監督をアシストしていたペキンパーも脚本を書いているんです。

この番組を見ていた知り合いが一人もいないのが残念です。
Yutubeにもこの番組の映像はありません。

この番組でコバーンのファンになり『荒野の七人』(1961年公開)に出演することが分かった時には大喜びしました。
しかも大好きなジョッシュ・ランダルこと「拳銃無宿」のスティーブ・マックイーンも「カメラマン・コバック」のチャールス・ブロンソンも出演するテレビ俳優夢の競演映画です!
主役のユル・ブリンナーには何の興味もありませんでした。

しかもこの作品は黒澤明監督の『七人の侍』のリメイクです。ロードショー公開初日に駆けつけるのは当たり前です。

閑話休題。

ちなみにコバーンは本作の前年1977年にペキンパー監督の代表作の一本『戦争のはらわた』(1977)で主役しています。

*アメリカでは。
アメリカでのペキンパー作品の評価は驚くほど低い。
スティーブ・マックイーンとアリ・マッグローが共演した「ゲッタウェイ」以外のほとんどの作品は興行的に失敗しています。

*クリス・クリストファーソン
クリストファーソンはロック・クィーン、ジャニス・ジョプリンの恋人だったことで知られています。
ジャニスは新作「パール」の録音中の1970年10月4日。滞在先のハリウッドの「ランドマーク・モーター・ホテル」105号室で4ドル50セントと封の切られていないマールボロを握りしめて死亡しました。
恐らく通常よりも高純度のヘロインが致死量を越えていたことが原因だとされています。

死ぬ何日か前にジャニスはクリストファーソンのデビュー・アルバムに収録された「ミー・アンド・ボビー・マギー」を新作に録音するよと電話口で歌って聞かせクリストファーソンは大喜びしました。

1971年1月11日にジャニスの遺作『パール』は発売されシングル盤「ミー・アンド・ボビー・マギー」は翌12日に発売されビルボードのトップ100の一位を2週連続記録しました。

【5 star rating】
☆☆☆
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