飯

修羅雪姫の飯のネタバレレビュー・内容・結末

修羅雪姫(1973年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

真っ赤な、明らかに偽物の血こそが現実から疎外されて怖い。そして真っ白な雪に染まる時の儀式感が強調される。

父と子、母と娘関係の超越。

古典の清冽に時代の暴力性を注ぐ。さらに形式と思考の前衛さが糸のように貫いている。

KILL BILLを含めて、本作はあらゆる暴力美学の母親である。

女性(母と娘)は同じ身体を使うこと。恰もメビウスの帯のように、終わりのない怨みの道へと。外部にある悪の記号として存在する父権だけでなく、同一性を持つ男性の存在もこのメビウスの帯を解消してしまうので、雪の身体に寄生する母権意志は、ありとあらゆる男性を殺しないとならない。(いや、むしろ内部にいる男性は、自己犠牲しないとならないのである。)

だが、感情に囚われ、「女」を捨てきれなかった雪は、復讐者から復讐の対象にされてしまうのも当然のこと。序盤の『修羅の花』と違って、最後は「女はとうに捨てました」は歌われずに幕を閉じた。
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