【時代の刻印はあるが】
アメリカンニューシネマとして割りに有名な映画ですが、BSで初めて鑑賞。
で、やっぱり自分には合わない映画だな、と思いました。「やっぱり」というのは、有名なのに今まで敢えて見ようと思わなかったのも、それを予感していたからではないかということで。
多分、当時は反体制的な気分だとか、ヒッピーの流行、ドラッグの流行、何となくの旅、といった時代の特徴がそのまま作中に出てきていて、またあまりくっくりしていない筋書きだとか、衝撃的なラストだとかとも相俟ってそれなりに支持されたのだと思います。
たしかに時代の刻印を帯びた記念碑的な映画として見るなら、今でもそれなりなのかも知れません。しかし私は見ていて要するにそれだけではないか、という気持ちを捨て切れませんでした。
若者が反体制的だったり、アナーキーだったりするのは、別段60年代のアメリカだけのことではありません。或る意味、モードは変わってもいつの世もそうだと言っていい。だから問題なのは、アナーキーな気分だとか反体制的な若者だとかを描くこと自体にはなく、それをどう描くかにあるわけです。敢えて言えば、普遍的な表現にまで高めることができるかどうかなのです。
この映画にそういうものがあるか、というと、どうもそうは思われなかった。作中に漂っている気分はたしかに分かる。分かるけど、この映画でそれを確認して何かが始まるのか、というとそうではないと思う。ポジティブな結末じゃないから、そう感じたのではありません。多分、作る側に自分を本当に客体化する能力がなかったからじゃないでしょうか。