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白鳥の歌なんか聞こえないのotomisanのレビュー・感想・評価

白鳥の歌なんか聞こえない(1972年製作の映画)
4.0
 労もなくほんのひとり二人の伝手を経るだけで知の巨人の謦咳にも触れられるような浪人生である、尋常の悩みなど持ちはしまいし、みち子ともまりことも今を明日をどうするか等と、心轟かすには自身の余計な知の詰込みが既に重すぎるのだろう。
 そんな知の詰込みと醸成に生涯をかけた老大家の存在を毛ほども感じず、その知の漣に震わされながらその震源の間近なのも気づかず今日まで生きた裕介君らが「恋文百頁が駆り立てる駈落ちの全顛末」や「矢立てが誘う春の京都吟行」を相次ぎ実現するなか、肝心の裕介君の日常は一向にタイトルの付く行動が叶わない。
 老巨人の知的サークルに囲われる女たちと、お蔭でもないんだろうが愛に恋にあぶれる若いオスどものすっとこどっこい振りが可笑しくも裕介的にどこか侘しい。
 巨人の逝く夜、まりこを見送り、かの家のこぶしの大枝をみち子に捧げて立ち去る道の行方知れない様に、どう死ねば誰に美しい声を届けられるだろうと、知って何日目かの駆け出し裕介君が思ったか思わないか、面倒に思って明日死ぬのか、生きて千年名を轟かそうと発念するのか?今日は草臥れたからとりあえず寝ちまいそうな春の宵の、暁を覚えそうにない前夜譚だった。

 そんな悩みも5年経てば通勤電車の冷房化率にイライラしたり、固定資産税や相続税の高額にマンション建設、郊外移住だのと追われる住処に悲愁を覚えるようになる。
 夕陽をもはや門前に、遠くタワーの灯を窓辺に見やる事も間もなく絶え果てる。今日のみち子やまりこを眺める背景に流れ去る諸々を5年後あるいは発念したところを成就して思い返すだろうか。そのとき二人が傍らにいるのか。あるいはそんな事を思いながら夜道を遠回りするのかもしれない。
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