Inagaquilala

わが命の唄 艶歌のInagaquilalaのレビュー・感想・評価

わが命の唄 艶歌(1968年製作の映画)
4.0
監督の舛田利雄は、後年、劇場版「宇宙戦艦ヤマト」の監督としてもその名を知られるようになるが、日活時代は看板スターである石原裕次郎の主演作品を最も多く演出した監督しとして、いわば全盛期を支えたまごうことなきスター監督でもあった。その舛田利雄が、日活時代の末期に残した傑作がこの作品。

五木寛之の原作小説「艶歌」を、池上金男(後の小説家、池宮彰一郎)が脚色し、美術は鈴木清順作品で有名な木村威夫、助監督として村川透(「白い指の戯れ」という傑作を監督)の名前もクレジットされている。上映時間も109分と、プログラムピクチャーの時代にありながら、2時間近い作品であり、かなり力も入れられた作品であったと思う。

事実、作品は舛田利雄の才能をあるに発揮した素晴らしい作品となっている。まず、このタイトルとはおよそ想像もつかぬ、海辺のホテルの一室から作品は始まる。美術の木村威夫のセッティングだろうが、窓からは夜の海が見え、そこにふたりの男女と、部屋は当時では最先端であろうファッショナブルなインテリア。そこで主人公の渡哲也と芦川いずみが結婚の約束をする。監督の舛田もかなり垢抜けた映像で応えている。

結婚を承諾したのに、何故か暗い顔を見せる芦川。タバコを買いに行くと言って部屋を出たまま、芦川は車ごと海に飛び込んでしまう。何故、芦川が死を選んだのか、この謎に対する問いかけが、作品の中では終始渡哲也の行動原理の根幹に潜んでいる。そして、この海辺のホテルの一室でのふたりの会話が印象的だ。このあたりは脚本家である池上金男の文学的センスが表れているのかもしれない。

ファッショナブルな冒頭の後は、ひたすらタイトル通りの「演歌」な世界が展開される。渡をコビーライターからレコード会社のディレクターに引き上げる佐藤慶。そのレコード会社の伝説的なディレクター高円寺竜三役の芦田伸介。そこに芦川の妹である松原智恵子が登場し、この4人の間でなかなか濃密なドラマが繰り広げられていく。

五木寛之が作家になる以前にクラウンレコードの専属作詞家をしていたせいか、当時の所属歌手が実名で登場する。まずタイトル曲でもある「艶歌」を歌う水前寺清子、黒澤明とロス・プリモス、泉アキ、笹みどりとまるで歌謡映画のようだが、ここでも舛田利雄の演出は光っており、きちんとストーリーに組み込む形で、単なる顔見せにならないよう登場させている。

主人公のライバルであり、リスペクトの対象でもある高円寺竜三の役を、日活の俳優ではない芦田伸介をキャスティングしたのも、この作品に不思議な重みを与えている。もちろん大島渚作品でもおなじみの佐藤慶の悪役ぶりも確かな芝居で、このふたりの演技派俳優と、渡哲也も松原智恵子も違和感なくわたりあっているのも特筆すべき点だ。

渡哲也と芦田伸介が暗いスタジオで言葉を交わすラストシーンも、まるでアメリカンニューシネマを思わせるような黒白つけぬ幕切れで、当時の作品としては新鮮な感じを受けた。五木寛之の原作からの引用だろうが、そこここに登場する「艶歌」の定義にはやや泥臭い感じを受けなくもないが、この作品をかくもモダンなかたちに仕上げた舛田利雄の感覚と木村威夫の美術と池上金男の脚本のベストマッチングに拍手を送りたい。終焉期の日活にあって最後の光芒を放つ名作であることに間違いない。
Inagaquilala

Inagaquilala