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真夜中の虹のnetfilmsのレビュー・感想・評価

真夜中の虹(1988年製作の映画)
4.2
 炭鉱労働者の2人は、各階の電気を消しながら静かに最上階まで登る。幾度も見て来たこの光景を、労働者たちはいったいどんな目で見つめただろうか?こうして炭鉱は閉山され、労働者たちはそれぞれ散りじりとなり、第二の人生の選択を余儀なくされる。喫茶店で父親はおもむろに彼に向かって、一番大切にしていたキャデラックのキーを息子へ手渡す。「俺みたいになるな」の言葉を残して。化粧室に静かに消え去った父親の寂しそうな背中、鈍い銃声。男はさしたる感傷もないままに、鞄一つで幌のないキャデラックに乗り込む。カスリネン(トゥロ・パヤラ)は雪に閉ざされたヘルシンキの街から、十分に生活出来るだけの金を持って、南へ南へと当てのない旅を繰り返す。だがファーストフード店の前で彼の財布の中身を目にした暴漢2人に後ろから角材で殴られ、全財産を奪われてしまう。途方に暮れた男はその街で日雇いの仕事をするしかなかった。昼間は肉体仕事で汗を流しながら、夜は教会のベッドに寝泊まりする男の生活はひたすら厳しいが、父親の分身のようなキャデラックだけはそばにあった。その車に駐禁切符が切られそうになり、男は慌てて交通指導員に話しかける。それがカスリネンとイルメリ(スサンナ・ハーヴィスト)との出会いだった。

 カウリスマキの映画では、男と女は出会い頭に恋に落ちる。恋に落ちるなどと言えば随分ロマンチックに聞こえるものの、カスリネンもイルメリも、もういい歳した大人である。女はバツイチで一人息子が既にいるが、男は「作る手間が省けた」とまったく意に介さない。女もそんな男の姿に今度こそ素敵な結婚をと夢見る。人生の再起を賭けた男女はこうして幸せを掴みかけるが、2人の行方にはすぐに暗雲が立ち込める。女は警察に連行され、男も強盗への復讐の罪であえなく御用となる。最底辺の労働者たちは今回も完全にツキに見放されているが、人生はそう捨てたもんじゃない。刑務所で相棒となるミッコネン(マッティ・ペロンパー)はまるで30年連れ添ったダチのような相性を見せる。出会いの場面、タバコを燻らすミッコネンが静かに男の器量を見定め、タバコとマッチを投げる場面は何と格好良いのだろうか?ミッコネンはカスリネンの再起の夢を自分のことのように聞いて回り、適切な作戦を立て、実行へと移す。夢にまで見た娑婆の風景、奪還したキャデラックに乗りながら2人の間に会話などない。刑務所の閉鎖的空間から自由の世界へ舞い戻ったはずの2人の前にはだがしかし、無一文という悲劇が待ち構えていた。その日暮らしでどんな貧しい生活をしていても、生きてさえいれば「ここではないどこか」へも辿り着けるかもしれない。荒涼とした真夜中の海、水平線の向こうには僅かに橙がかった空が拡がっている。
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