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ラスト・ワルツのarchのレビュー・感想・評価

ラスト・ワルツ(1978年製作の映画)
4.7
「素晴らしい人たちがツアーのために死んで行った そんな人生は不可能だ 絶対に」
1999年にバンドを活動停止、2023年に8月に亡くなった「The Band」の実質的なリーダーであるロビー・ロバートソンの劇中インタビューの言葉だ。
このライブ映画は、「The Band」の最後のツアーのライブ「ライスワルツ」を映像化したものだ。だが、この映画は単なるライブ映像ではなく、れっきとした「映画」なのだ。
編集やカメラワーク、そして1つのナラティブを可能にさせる演出によって、ライブはバンドメンバーが目標とした"祝祭"となり、一つの伝説の終わりを永遠の神話にしてみせている。
私は正直、ザ・バンドに関して詳しい訳では無い。だが、この映画はそんな人間すらも魅了する。解散間際の"最後の晩餐"で、初見の人間を堕としてしまうバンドのパワーは去ることながら、とにかくそこストーリーがある。それを紡いで映画にしたスコセッシの驚異的な采配のなせる技という他ない。

まず何故、スコセッシがこの映画の監督となったのか。調べてみると『ミーン・ストリート』のプロデューサーがジョナサン・タプリンで、このバンドのツアーマネージャーであったことがまずあるらしい。そしてスコセッシが『ウッドストック』を撮っていたという背景もあり、その技量は申し分ないと判断されたようだ。
対してスコセッシは『ニューヨーク、ニューヨーク』の大詰めだったらしいが、そのゲストリストやロックンロールの1つの時代の終わりに立ち会うべく、そのオファーをOKしたらしい。「私に選択の余地はない。私がやらねばならない」と言ったそうだ。

見事な嗅覚だし、『ニューヨーク、ニューヨーク』も悪くはないが、歴史の名を刻む偉業としては『ラスト・ワルツ』であることは間違いない。

ではこの映画がどう凄いのかに話を移す。まず驚かされるのは、アンコールからこの映画は始まる。
会場中の名残惜しさから来る"終わり"の予感。それはこのライブの終わりであり、「The Band」の終わり。
映画の観客とライブの観客を同期するために、今から始まる「終わり」を共有するべく、この映画はアンコールから始まるのだ。

楽曲の一つ一つが素晴らしく、冒頭の「音量を上げて上映しろ」のテロップが如何に我々観客に献身的なアドバイスだったのかと、想いを馳せてしまう。ここでは曲の話はあまりしない(出来ない)つもり。その代わりにスコセッシがそのライブという現象を如何にカメラワークと編集、演出によって映画にしたかにフォーカスしたい。

例えばそれはカメラワークだ。事前にセットリストやライブの動線を把握しているスコセッシはカメラワークを入念に構築し、とにかく顔を映し出す。カメラが何台あったかは定かではないが、ボーカルがうつり変わっていく流れをワンカットで収める手腕は流石。
また特徴的なのは観客を極力映さない。ライブ映画は意外と観客を映しがちだ。オアシスのネブワースのライブ映画は逆に観客を信仰者として記録し、インタビューを挿入することでナラティブを生み出し、"神話"を描いて見せた。だが、この映画はとにかく舞台上で起こることのみにフォーカスする。単純に考えればそれは映画とライブの観客を同期させることや、純然たる演奏の記録とすることが意図されたことかと思うが、興味深いのはそれ以外の効果的に作用していた二点だろう。
1つは別録で収録された数曲が違和感なく挿入されていること。「ザウェイト」が印象的で別録故にカメラワークが面白いが、特にラストの「The theme of last waltz」へのシームレスな繋ぎを可能にしている点だろう。この映画はとにかくこのラストが素晴らしく、このラストの引いていくドリーショットのために、これまでアップしていたのだと思わされるのだ。
2つ目は、「I shall be released」の引きのショットだ。ほとんど観客を映さないこの映画において、この曲の際には舞台も観客が一緒に画面に映される。それは舞台上に集結するゲスト全員のアンサンブルをワンショットに映すための必然的な行為だが、そのショットが際立つのは、それまでが各個人にフォーカスを行った寄りのショットが多かったからだろう。
この引きのショットはほぼ立食パーティーのような密度の舞台上を映し出す。想起されるのはやはり祝祭であり、祝宴だ。そしてその引きのショットには観客がいる。しかしラストのテーマ曲には観客はいない。その対比も見事である。

忘れてはないらないのがこの映画は曲ごとに後に収録されたインタビューが挟まれているということだ。
これは近年でいうと『The First Slam dunk』に近い構成だ。プレイとドラマが、クロスしていく。モンタージュのプリミティブな効果が発揮され、前後のカットがナラティブを生み出していく。単なるライブの記録ではなく、これまでの旅路(ツアー)の記録でもあることは分かり、そしてこの文章冒頭に書いた
ロビー・ロバートソンの言葉、そして表情に繋がっていく。自ら終わりを決める事の勇気、そこに当然生まれる葛藤が、スコセッシによって汲み取られていく。
だから、この映画は映画なのだ。


その終幕は、何度も上記したように、テーマ曲であるインストの演奏と後ろへのドリーで幕切られる。
映画における暗転をタナトスに紐づけて語る評は後を絶たないが、この映画はそのタナトスとの決別として、暗転する。「そんな人生は不可能だ 絶対」なのだ。
そんな彼が今年、1ヶ月前に死んだ。その最後についてはよく知らない。彼は"どんな人生"を送ったのだろう。願わくばその最後に祝祭を。
こんなにもライブ映画として素晴らしい作品も他にはない。傑作でした。
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